短編小説「すこし、先のはなし」 第二話『イイネメガネ』


ようやくマスクを外して出かけられるようになったと思ったら、知事が「メガネをかけろ」と言い出した。この知事は、しばしば意味があるのかどうかが怪しい提案をすることで知られているが、「イイネメガネ」の着用は、またたく間に広まった。

役所が無料で配布するメガネには、”つる”の部分にハート型の小さなボタンが付いている。メガネ越しに誰かを見ながらハートをタップすると、相手に『イイネ!』が贈れるのだ。
ネットでおなじみの『イイネ!』のボタンを現実世界に持ち込んだと思えばいい。人の言動への賛同や賞賛、感謝を手軽に伝える装置だ。
メガネ越しに『イイネ!』を贈ると、視界にポンッとハートが現れる。ハートは相手のメガネにも表示され、その場で辺りを見まわせば、誰が贈ってくれたかおおよそ見当がつく。

誰もがマスクを着け続けている間に、他人の行動にやたらと監視の目を向ける人が増えた。三十五歳になる会社員の田所も、近所づきあいや職場の人間関係がどこかギスギスしていると感じていた。
マスクを外せば元通りになるかと思いきや、イヤな空気は尾を引いた。経済が一向に立ち直らないせいなのだろう。「お・も・て・な・し」の心が売り物だったはずの街では、肩がぶつかった程度のことで喧嘩が始まり、「釣銭の渡し方がなっていない!」と客が店員を恫喝するような光景が当たり前のものになっていた。

そこで知事が提案したのが「イイネメガネ」の着用だ。
「例えばですネ、電車でお年寄りに席を譲った方ですとか、心のこもった接客をされている店員さんですとか、そういった方にですネ、気軽に『イイネ!』を贈っていただきたい。そのような柔らかな、と申しますか、温かな、と申しますか、コミュニケーションがですネ、社会全体を明るくしていくと、このように考えております」

記者会見で、知事が淀みなく、どこか上滑りした口調で話すのを田所はネット中継で見ていた。
「『イイネ!』のスコアはですネ、みなさまのマイナンバーカードと紐づけさせていただきます。こちらのスコアは、ご要望に応じて企業や学校、各種団体に提供いたしますので、ぜひともスコアの高い方々には多くの優遇措置をご提供いただければと思います」

要するに、『イイネ!』の数を「信用スコア」にするということだ。
信用スコアは既にいくつかの国で活用されていると、田所も聞いたことがあった。職歴やクレジットカードの使用歴などの情報を数値化し、スコアの高い者は、ローンの審査が通りやすくなる、宿泊施設の利用時にデポジットが免除されるなどのメリットがあるのだ。

知事の発表を受けて、企業や学校は争うようにイイネメガネのスコアを活用し始めた。『イイネ!』の数を社員の査定や、推薦入試の合否の判定材料に使うのだ。
そうとなると、人々はわれ先にとメガネをかけた。
田所のように視力の良い者は、当初かけるのを煩わしく感じたが、かけなければ『イイネ!』がもらえないとなれば、文句など言っていられない。
もともと視力矯正のメガネをかけていた人のために、手持ちのメガネにハートボタンを設置するサービスも始まり、街を行き交う人々のほとんどがメガネを着用するようになった。
当然『イイネコンタクトレンズ』を求める声も上がったが、こちらは実用化まで、もう少し時間がかかるという話だ。

「いい人になれば、得をする」
そんなルールができると、街の様子が変わった。
ポイ捨てされたごみは通行人によって即座にごみ箱に入れられ、電車でもバスでも、お年寄りや妊娠中の女性が乗って来ると、すぐさま席を譲られる。

田所も、『イイネ!』がもらえそうな機会を逃すまいと、日々気を配るようになった。
口下手で引っ込み思案だというのに、半年前に田所は営業部に配属されてしまった。成績は芳しくなく、上司の懐にうまく入り込むような、如才ない男でもない。そんな田所だからこそ、せめて『イイネ!』のスコアを稼がなくてはならない。

妻からも、毎日帰宅すると「今日はいくつもらった?」と『イイネ!』の数をチェックされる。
四歳の娘が小学校に上がるまでに一戸建てを買って引っ越したいと切望する妻は、在宅でプログラマーの仕事をし、節約にも励んでくれている。
それでも戸建てを買うとなればローンを組むしかない。その審査がつつがなく通るよう、しっかりと『イイネ!』を貯めるようにと、妻は求めているわけだ。

因みに、親族間で『イイネ!』を贈り合うことはできない。それができるとなれば、田所の妻のような者がひたすら夫に『イイネ』を連打したり、学校の内申点を上げようと、親が子のために夜も寝ずに『イイネ!』をし続けたり、といったことが起こり、スコアの信頼性が下がるからだ。

『イイネ!』のスコアには謎の部分も多い。
「親族間では贈り合えない」というルールがあることから、「関係性が遠い人にもらった『イイネ!』は、1回あたりのスコアが高いらしい」という噂がある。例えばご近所の顔見知りからもらった『イイネ!』よりも、道で偶然すれ違った赤の他人からの『イイネ!』の方が価値が高いらしいというのだ。
これについては、役所もイイネスコアを活用している企業や学校も、「詳細はお答えできない」としているのだが、街の人々の間では広く信じられ、半ば常識のようになっている。

そうなると、「公共の場での他人への親切」は高ポイント獲得のチャンスということになる。
田所は今朝、大きな荷物を抱えたおばあさんが駅の階段を上がろうとしているのを見かけ、声をかけた。
「お荷物、お持ちしましょうか?」
そう言って預かったとたん、太い腕が伸びて来て荷物を奪われた。
「僕がお持ちしますよ、おばあちゃん」
二十代半ばと思しきガラの悪そうな男が、おばあさんに笑顔を向けた後、田所をにらみつけてきた。
気の弱い田所は、なす術なく、階段をのぼっていく男とおばあさんを見送った。

「お帰り。今日はいくつもらった?」
この日も、帰宅するなり妻に尋ねられた。
「一つだけ……」
「誰から?」
「うちの部のヤツ」
オフィスのシュレッダーに紙くずがたまっていたので捨てていると、後輩が『イイネ!』をくれた。
「そっかぁ」と、妻は不満げだ。関係が近い相手からなので、高ポイントは期待できない。

その晩、娘を寝かしつけるとすぐに妻が話しかけてきた。
「あたしさ、今、マッチングアプリのバグ修正やってるのね」
妻はフリーのプログラマーなので、その時々にいろんな仕事を請け負っている。
「バグの再現のために、実際にユーザーが入力したデータ使う時もあるんだけど……あっ、もちろん個人が特定できるようなとこは匿名化されてるんだけどね」
妻が仕事の話をするなんて珍しい、と田所は思った。
「マッチした人同士で送り合ってるメッセージの中に、たまーにハートマークが並んでるだけのがあるの。それも決まって、赤、赤、黄色、オレンジ、青、赤、黄色、っていう順番で七つ並んでてさ。なんか暗号みたいだなって思ってたら、たまたま友だちが教えてくれたんだけど……」
ずい、とこちらに身を寄せて、妻は話し続ける。
「知らない者同士で『イイネ!』の贈り合いしませんか?っていう意味の隠語らしいよ。ま、あくまでも噂だけど……。相手もメッセージの意味が分かって、OKだったら、同じ配列でハートを七つ返すんだって」
「へえ……」
それきり妻は黙りこみ、まばたきもせず田所を見つめた。
言葉は無くとも田所には、何を求められているのか十分に理解できた。

スマホにアプリをインストールしたまでは良かったが、相手に気に入られてマッチングしなければメッセージが送れない。田所はプロフィール写真をネットで拾ったイケメンモデルのものに設定して、マッチした相手に片っ端からハートの暗号を送信しまくった。
地道にその作業を続けてひと月ほど経った頃、ある女性から同じハートの暗号が返信されてきた。

そこからは話が早かった。お互いの目的を確認の上、カラオケボックスで顔を合わせ、『イイネ!』をし合うことになった。
相手のプロフィール写真はゴージャスな雰囲気の美女だったが、当日現れたのは、至って真面目そうな女子大生だった。田所同様、マッチ率を上げるために他人の写真を使っていたわけだが、お互い『イイネ!』さえもらえれば良いのだから、何の問題もない。
就活で苦戦しているという女子大生とカラオケボックスに入り、互いに無言で『イイネ!』を連打し合って解散した。

この調子で『イイネ!』を稼ぎ続けたところ、田所はめでたく昇進することになった。ことさら営業成績が上がったわけでもないので、イイネスコアのおかげとしか思えない。
田所が所属する営業部は四つのチームで構成されており、そのうちの一つのチームリーダーを務めるようにと辞令が出た。

「パパ、チームリーダーおめでとう!」
就任初日の夜、お祝いのごちそうとケーキを前に、妻と娘が声をそろえて言ってくれた。入社以来、初めて役職が就いたので、妻は田所以上に喜んでいる。
「引き続き、がんばってね」
そう言って妻はまた、まばたきもせず田所を見つめた。
この目で見られると、田所は不思議と逆らえなくなってしまう。

いざチームリーダーになってみると、田所なりに自覚と責任感が芽生えた。それが功を奏してか、営業成績は順調に上がっていったが、不正な『イイネ!』稼ぎは止められなかった。ローンの審査を無事に通過し、念願のマイホームを手に入れるまでは……。そう思って田所は、ハートの暗号を送信し続けた。

その後、理想的な物件を見つけた田所夫妻は、「そろそろ行けるんじゃない?」という妻の言葉でマイホーム購入を決断。銀行に住宅ローンの申し込みをした。
後日「審査結果をお知らせしますので、お手数ですが、当支店までお越しくださいませ」との連絡を受け、田所と妻は、娘をベビーシッターに預けて銀行を訪れた。

指定された時間より早く到着した二人は、受付前で待たされた。
ようやくオレも、一国一城の主か……。
そんな感慨にふけっていると、受付前のテレビから緊急速報を知らせるチャイムの音が響いた。
「これより、知事による緊急会見を中継いたします」

例のごとく、上滑りした口調で知事が言う。
「私ども調査で、イイネスコアの不正取得が横行していることが判明いたしました。無関係の人物間で示し合わせ、意味のない『イイネ!』を与え合うという悪質な手口は、到底看過できるものではございません。そこでですネ、不自然な『イイネ!』の取得履歴から、不正を行ったと判断される人物のイイネスコアは全て失効とし、今後一切『イイネ!』の取得はできないものとします。またですネ、不正取得を行った人物の氏名は、こちらのWebサイトにて公表いたします。イイネスコアを活用されている企業、学校等のみなさまにおかれましては、こちらをご確認の上、厳重に処罰くださるよう、お願いする所存でございます」
知事はQRコードが記載されたフリップを取材陣のカメラに向かって掲げた。
「早速ですネ、現在までに不正を行ったことが明らかな人物の氏名をこちらに掲載しております」

テレビ画面いっぱいにQRコードが表示されている。田所は震える手でスマホを取り出し、コードを読み取った。
サイトが表示されても、怖くて確認できない。目をつぶったままの田所の手から、妻がスマホを奪った。
まばたきもせずに画面を見つめ、二度スクロールした後、妻は泣き崩れた。

〈了〉

第一話はこちらです。

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