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喫茶店の人

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喫茶店にまつわる人へのインタビュー
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記事一覧

喫茶店の人 #8 【喫茶バロン】 井上省一さん

バロンのマスター、井上省一さん(85歳)は兵庫県たつの市生まれ。小学1年生で終戦を迎える。 中学を卒業後、神戸市長田区のおばさん夫婦の家に養子に出された。 「うちは7人兄弟で、おばさんのとこは子どもがおらんかったから養子になった。 おじさんは苦労してきた人やから、ワシの気持ちをよくわかってくれた。高校にも通わせてくれたし、ええもんを食べさせてくれた。いまだに長田のおばさんの夢を見るのは、実親よりも恩義を感じているからやと思う」 通っていた定時制高校で、後に道子さんを紹介し

喫茶店の人 #7 【純喫茶ブラジリア】 吉岡敏子さん

山之内遼さん、九州で亡くなったって聞いたで。独身のまま逝ったんやなぁ。店には何回も来てくれたわ。本が売れたからカラーでまた出したんやってね。わりとええ値段やのに、買うてくれる人がいるなんてありがたいな。 山之内さんは生きとった証を残したんやな。 本に載せてもらったお礼に年賀状を出しとってん。そしたら彼のお母さんから電話がかかってきて亡くなったことを教えてくれてん。 びっくりしたもん、それ聞いた時は。 もう身体はボロボロやで。 天国行くのん近いけん。 昔やったら生きとれへん

喫茶店の人 #6 【珈琲ん】 海老原正毅さん

「“珈琲ん”とのファーストコンタクトは小学生くらいの頃ちゃうかな。トアロード時代の“珈琲ん”は、家族で大丸に買い物に行った帰りに寄ってた。両親ともにクラシカルな雰囲気が気に入っていて、自然と家族連れ立って行くようになってたね」 大人になってからも、家族で喫茶店に行く習慣があったという。そのうちのひとつが夙川の“珈琲ん”だった。 「実家が仁川にあるので、いかりスーパーに行くついでに家族揃って夙川の“珈琲ん”に寄ってた。店名が同じ、コーヒー1杯490円で500円を出したらピカ

喫茶店の人 #5 【波夢】 金友政則さん

喫茶店の人 #4 【鎗屋町喫茶室 街の灯り】 藤本由美さん

黄昏時を過ぎると、ひときわ目立つ灯り。 人々を照らす灯りは、安らぎの象徴だ。 藤本由美さん(58歳)が母親とともに喫茶店「more」を営んでいたのは40年前。喫茶店の出店が最盛期を迎えた70年後半〜80年初頭は喫茶店黄金時代だ。専門店のようにコーヒーの種類が多かったこともあり、店は繁盛した。 「母は百貨店内の喫茶店の店長をしながら、いつか自分で店をやろうって計画してたみたい。私はアパレル系の会社で働いてたんだけど母の手伝いをするために辞めました。喫茶店に行かないとコーヒー

喫茶店の人 #3 【珈琲ん】 Sさん

“珈琲ん”の創業者は旧満州国生まれのSさん(87歳)。 物心がつく前に満州鉄道に勤めていた両親を亡くし、天涯孤独になった。日本に引き揚げたものの、知り合いの間をたらい回しにされながら育ってきた。身寄りのないSさんを引き取ってくれたのが神戸の人だったので、神戸には恩と思い入れがある。 「自分で学費を払いながら香川大学を卒業した後に、ドイツとの関わりが深い徳島高等工業学校(旧制専門学校)に行きました。その学校の関係でドイツの客船“オイローパ”に乗務員として就職。船内の調理を担

喫茶店の人 #2 【コーヒーハウスモカ】 秋田加代子さん

大阪生まれの大阪育ちです。ずっと城東区に住んでいて、結婚した時に服部緑地の文化住宅に引っ越しました。23才で結婚したんやけど24才のときに夫が自分の運転する自動車事故で亡くなったんです。 結婚した当初は共働きでした。赤ちゃんができるまでお金を貯めようと天満の司法書士事務所に1年間だけ勤めてたんやけど、仕事を辞めて専業主婦になった1か月後に夫を亡くしてん。間が悪かったね。 それからはずっと1人。相手が現れへんから再婚もできへん(笑) 夫が亡くなった1年後に友達がオーナーをし

喫茶店の人 #1 【コーヒーハウス井戸】 栗栖明さん

阪神御影駅の西を走る弓場線沿いに、山小屋風の外観が目を引く喫茶店「コーヒーハウス井戸」がある。 マスターの栗栖明さんがコーヒーハウス井戸を創業したのは1976(昭和51)年、27歳のとき。 更地の状態から半年かけて店舗を建築し、オープンした。外観のイメージはヨーロッパの山小屋。シャレースタイルと呼ばれる三角屋根の建物やアンティークな家具・調度品を集めたインテリアは栗栖さんの好みだ。 栗栖さんはハモンドオルガン奏者でもある。 音楽に目覚めたのは高校生の頃。ベンチャーズやビ