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番外編 出雲・日本酒のルーツを辿る旅|あつかんオン・ザ・ロード|DJ Yudetaro

起源をどうするのかということでしょ。神道というイズムみたいな形になってしまいますと、起源を信じろということなんですよ、単純に言うと。高天原以降、神々がいてという話で、神道というのは、そういう起源を問うな、それを信じろ、それを丸呑みしろ、それがイズムなんだと。

中上健次『現代小説の方法』より

サンライズ出雲号の個室寝台で目が覚めたのは朝の7時ごろだ。
岡山を過ぎ、車窓の緑が色濃くなってきた。日本酒の起源を辿りに出雲に向かっているが、私は行き詰っている。

A級グルメのまちとは一体?

数日前にネットで出雲の下調べをしていたら、佐香神社という場所が「日本酒発祥の地」と紹介されており、せっかくだからそこへ行ってみようと計画を立てた。
日本酒の起源について大雑把な知識しかなかった私は、もう少し深堀しようと何冊かの本を図書館で漁り、資料をコピーしたりして車内に持ち込んだ。
それを昨夜から眺め、出雲と日本酒の起源について読み解こうとしていたのだが、読めば読むほど、どうにも行き詰ってしまったのだ。

縄文・弥生時代あたりから徐々に醸造が発達していったとされる日本酒の、起源ということになると(ここでは初めて麹カビを使って米を発酵させて酒を造った、としておこう)諸説あり、定まっていない。
最初に登場する文献が飛鳥時代で、古事記、日本書紀、風土記といった、いわゆる記紀神話によるものだ。
佐香神社に関しては、出雲国風土記の記載をもとに島根県が日本酒発祥の地とPRしているものの、播磨国風土記をもとにすれば兵庫県が発祥ということになり、同じように発祥の地を名乗っているのである。
酒造りと大いに関係の深い神社は幾つかあり、そのうちのどこが一番初めかというのは分からない。
いえることは、太古の昔、酒は農耕と信仰にかかわるもので、神との関係が深く、神社で醸され、神事で飲まれていたということだ。
そして、各地の神話をまとめたという風土記などの文献に掲載されるまでのあいだ、言葉による伝承を介さない大きな時間の堆積がある。
資料読みは、きりがなかった。列車の揺れのなかで、寝ぼけまなこをこすりつつ、飲みかけで残っていたカップ酒を舐める。

伯備線から山陰本線に抜け、米子を過ぎると島根県だ。
ちょうど田植えの直前で、田に張られた水に山や空が反射して映っていたのだが、私は一瞬で心を打たれ車窓に釘付けになってしまった。
特に珍しいわけでもなく、今の時期なら全国どこでも見られるこの光景だが、いま見ている島根のそれが、やけに独特でびっくりしたのだ。
思わずスマホやデジカメで何枚も写真を撮ってしまっていた。

薄汚れた列車の窓越しではあるが、こんなにくっきりと鮮明に景色を反射している田は初めて見る。まるで海に山が浮かんでいるようだ。
そして、雲。雲は空の奥から末広がりに沸いてきて、風景に動きをつけていた。光を見せては隠し、水を淀ませては光らせていく。

出雲という名称の起源は、この沸き立つ雲「やくも」に由来するという説が一般的だという。
私は時刻表でも地図でもなく、この景色を見て、出雲の国に来たことを実感したのだった。出雲の国が体得されたのだ。
衝動的に手元に散らかった何冊かの本と、印刷してきた資料の束をかばんにしまった。
書物、文献、記録……言葉、言葉、言葉の雁字搦めに辟易する。
日本酒の起源がどこか、言葉からつきとめることにあまり意味はないと思った。
行って、見ること、見て感じること、古代に思いを馳せること。

出雲市駅のホームに降りた。JRの改札を出てコインロッカーにスーツケースをしまい、一畑電車というローカル線に乗りこむ。
切符が硬券で、改札ではそれに鋏が入った。この体験は幼少の頃以来かもしれない。
私が小学生のころ、鋏からスタンプに代わったのをわずかに覚えている。高校の頃には、すっかり自動改札になってしまった。
多くの乗客は出雲大社に向かうようだが、私は川跡という駅で松江方面に乗り換える。

佐香神社の最寄り駅、一畑口に着いた。特に勾配があるわけでもないのに、レールはこの駅を頂点に漢字の「人」のようになっており、スイッチバックして折り返すという不思議な線形になっている。
なんとなく、線路の終点からその奥に広がる地形を見たら、何かに吸い込まれる感覚が私を捉えた。

ここで線路は行き止まり

レトロな駅舎を出て、田んぼや沼地が広がる素晴らしい道を歩くと10分あまりで目的の神社に着いた。
久斯神(くすのかみ)を祀る佐香神社は、「出雲国風土記」に、「佐加社」と紹介され、「佐香の河内に百八十神等集ひまして、御厨を立て給ひて、酒を醸させ給ひき、すなわち百八十日喜燕きて解散けましき、故、佐香という」という記述がある。

佐香神社。醸造免許を持っている。

事前の情報通り、鳥居が近接して2つ建っており、「佐香神社」と「松尾神社」が合祀された痕跡がみえる。
参拝客は私以外誰もいない。きわめて素朴な神社であった。
外から内殿を覗くと四斗樽が積みあがっていたが、全体として特段の特徴はなく、ここで180もの神が厨房をつくり、酒を醸して180日間酒宴を繰り広げたという、派手なイメージは残っていない。

本殿。中に酒樽が積みあがっていた

境内を一通り見て回り、まだ時間もたっぷりあるので、坂を向こう側に降りて海でも見ようと思った。
ところが、実際は里山が広がっていて、まったく海など見えない。スマホで確認すると、日本海は5キロ以上離れていた。
海は遥か遠くで、私が勝手に神社の裏手が海だと思っていたのである。
これはどういうことか。佐香神社だけがこんもりと盛り上がった丘になっていて、向こう側に山が見えないので海だと憶測したのかもしれない。
奇妙な勘違いであった。だが、何かが憑依したような、この奇妙さは重要な意味を持つはずだ。

私はこの丘の向こうが海だと信じていた

私は段差に腰かけて、蚊を追い払いつつ、かばんに丸め込まれた資料を取り出した。さっき資料を読むことは意味がないと言ったのに、結局頼るべきは文章なのだ。
日本酒と神話についての権威者である加藤百一先生が『日本醸造協会誌』第73~74巻に連載した「酒と神社」の、佐香神社についての記事を貪り読む。
それによると、この神社は、もともと日本海側の地合町にあったのが、16世紀にこの土地に遷座されてきたという。なんと、昔は海のそばだったのだ!
私は興奮し読み進めた。

「久斯神を恵美須様に擬する説があるが、この神の出自を物語る説として興味がある。恵美須はエビス(夷)神、異国神である。とすれば、たとえば大陸から渡来して、佐香の郷人に酒造りの技を教えた『まれびと(賓客)』であったかも知れない。とすれば、古くから民間に伝承されたまれびと信仰として受け留めることができる。」

「まれびと信仰」とは、「時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在を定義する(Wikipediaより)」折口信夫の思想概念で、外部からの来訪者、異人を神として歓待する日本人の信仰のことをいう。
つまり、大陸、朝鮮半島あたりから渡来した異国人が「麹カビ」の醸造法を当地にもたらし、住民は酒倉を建てて彼らと共に醸造をはじめ、この神社に供え、かつ彼らを饗応したということになる。もちろん酒も酌み交わしたであろう。
180の神々とは、彼ら異国人のことかもしれない。
麹カビのルーツについては、小泉武夫先生が唱えるように日本固有の独創物であるという説もあるが、大陸伝来説で考えるならば、充分この佐香神社が麹カビによる日本酒醸造のスタート地点といってもよいのではないか。
神社で何の証拠を見つけたわけでもないが、私は大いに充実した気分で駅へ引き返した。

ロケで使われそうな木造駅舎

最後は文献に頼って論を組み立てたものの、一畑口駅のレールの先端を見たときに覚えたあの何かに吸い込まれるような感覚、そして佐香神社の向こうを海だと直感したこと、それらのインスピレーションがなかったら私はここまで考察できなかった。
抽象のまま思考することで得られるリアリティは尊いのである。

出雲大社。ここにも酒の神である大国主命が祀られている。

山陰出身の人が卑下するかのように「マイナーで暗い土地」と言っていたが、そんなことは決してない。少なくとも出雲、松江に関しては気候もそうだが、景色も土地の空気も開放感があり、爽やかで明るかった。
だが一概に明るいわけではなく、そこに独特の雰囲気が佇んでいるのも確かだ。
人でいうと、出会った人たちは、まず一瞬はこちらを警戒してくる。
愛想がないわけではなさそうだ。何かを少し見極めて時間をおいているようにみえた。思慮深いといえる。
だがいったん警戒がほどけると、雲が抜けた青空のように心を開いて喋り出す。大らかさと朗らかさが表出する。その笑顔を見て、サンライズ出雲の車窓からみた水田を思い出したのは言うまでもない。

松江の繁華街にこんな名前の店も

私は遥か2000年、3000年も昔の時代に、出雲の人たちが渡来人と出会い、一瞬の警戒のあとに喜んで醸造法を教えてもらう光景を想像できると思った。
佐香神社発祥説に添えば、日本酒の起源とは「まれびと」、オープンマインドな精神、敬意をもって異文化を受け入れるおもてなしの心によるものだといえる。

酒タートの地

さて、麹カビによる醸造が伝来してから遥か時が流れた現代、渡来人は誰でもオープンにウェルカムな存在ではないようだ。
文明も言葉も発達し政治社会がつくられて、国と国との事情が難しくなった。
今もっておもてなしが得意な島国・日本でも、とりわけ日本海を隔てて接する「お隣の国々」との関係は決して良好とはいえない。
松江の中心地を歩くと、「酒タートの地」という観光PRのサインボードが掲示されていたが、その少し先には県庁の「竹島資料館」があった。
スマホのニュースを見ると、対馬の神社が「韓国人立ち入り禁止」を表明(※)し物議をかもしている。

※「韓国人立ち入り禁止 神社の対策物議」
https://news.goo.ne.jp/topstories/region/goo/0c2243a4249131128a88071b7b1c20e9.html#google_vignette

事実と行動と科学的思考が支配する、何もかもが形式的な世の中で、物語を紡いでいきたい。抽象的に考えて、待つのだ。
ゼロからイチへ、抽象的思考のままでいくこと。やがてそれは一番実用的で現実的な思考となるだろう。
数学者が種を蒔いて式が現れるのを待つように、または、古代の人々の醸造のように。

私は、縄文、弥生時代から、風土記や古事記、日本書紀が編まれて初めて醸造が言語化されるまでの、その膨大な言葉の空白の時間帯が気になるのだ。
その空白の中にも、人々は生き、祈り、酒を造り、飲み、酔い、そして物語は確実に堆積されているからだ。

現代社会は、事実と行動と科学的思考を言葉と紐づけて、物語をコントロールしている。
だが、本来の物語とは、文章ではない。文字でもない。記録ではない。そのような制度やルールができる以前の、根源から私たちのあいだで続くもの。
酒に関していえば、佐香神社で太古の昔に起こったことと同様に、いま、全国の酒場で、酒蔵で、無数の物語が生まれている。
出雲はそれを教えてくれた。佐香神社の丘も出雲大社の本殿も物語であった。
行って見てみなければ、それは体得できなかった。
私は出雲の酒を飲むたびに、水田に美しく映えた山と雲の光景を、いつでも再生するだろう。

参考文献
小泉 武夫『日本酒の世界』 講談社
上田 誠之助『日本酒の起源』 八坂書房
加藤 百一「酒と神社」『日本醸造協会誌』第73~74巻
加藤 百一「続・酒と神社」『日本醸造協会誌』第76~80巻
速水 保孝「出雲神話と酒造り」『日本醸造協会誌』第82巻第8号
小林 秀雄『人生について』中央公論社
中上 健次『現代小説の方法』作品社 


著者:DJ Yudetaro
神奈川県生まれ。DJ、プロデューサー、文筆家。
写真家の鳥野みるめ、デザイナー大久保有彩と共同で熱燗専門のZINE「あつかんファン」、マニアックなお酒とレコードを紹介するZINE「日本酒と電子音楽」を刊行中。年二回、三浦海岸の海の家「ミナトヤ」にてチルアウト・イベントを主催。
Instagram:https://www.instagram.com/udt_aka_yudetaro/
Twitter:https://twitter.com/DJYudetaro/

この連載ついて
日本酒を愛するDJ Yudetaroが全国の熱燗を求めて旅する連載企画「あつかんオン・ザ・ロード」。毎月15日の18時公開予定です。

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