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第7話山形県・肘折温泉編 |あつかんオン・ザ・ロード|DJ Yudetaro|写真:鳥野みるめ

写真=鳥野みるめ(一部、DJ Yudetaro)


プロローグ

酒場のカウンターで偶然隣に居合わせた見ず知らずの人から唐突に、「山形県大蔵村の肘折温泉というところにカネヤマ商店という角打ちがあるから、冬になったら行きなさい」と言われたのが去年の秋口のこと。
女性の声ではあったが中性的な人で、それだけ言い残すと消えるようにいなくなってしまった。

白一面の景色

クリスマスが目前に迫ったころ、私はあの時の不思議な忠告に従って、肘折温泉に投宿した。
それまで大蔵村も肘折温泉もまったく聞いたことがなく、山形県にすら行ったことがなかったのだ。
写真家の鳥野みるめさんご一行と合流した山形新幹線の終点・新庄駅は雪景色。肘折温泉郷はそこからバスで約50分、大蔵村の中心からもさらに離れた山間にあった。
雪は激しさを増し、山を登っていくにつれ景色はホワイトアウトしていく。視界が白い霧に包まれ、異世界に迷い込んだようだ。時間が果てしなく長く感じられた。
やがてループ橋を下った谷間に、建物が身を寄せ合う温泉郷の集落がみえてくる。思った通りの、いや思ったよりも秘境である。

狭い道の両側に宿が建ち並ぶ

前日、私の住む地域は最高気温25℃を記録していた。対して、当日の肘折の気温は氷点下、積雪は30センチを超え、吹雪。
痛いほどの寒さに身体が悲鳴をあげつつ、旅館に辿り着く。
真っ先に温泉と思ったが、あいにくこの日は源泉の清掃作業中で、お湯が熱くなるのに少し時間がかかりそうとのこと。
そこで、まずカネヤマ商店に出かけることにした。

カネヤマ商店(1日目)

カネヤマ商店は、肘折温泉のメインストリートの中ほど、道が鉤の手に曲がった角に面していた。
外見は普通の「町の酒屋さん」で、入ってすぐ左側に角打ちのカウンターがあるのが店の外からも見ることができる。
向かいには旧郵便局舎のレトロな建物があり、なかなか風情があった。

カネヤマ商店の外観

角打ちではリーズナブルな値段で、日本酒のほかワイン、生ビール、コーヒーもいただける。都度お金を払うキャッシュオン方式だ。
店内にはお酒、食品以外にも土産物、日用品など色々なものが売られており、飲んでいるとちょくちょく地元の人がお使いに入ってきて、コンビニなど1軒もない肘折の集落を支える店であることが知れた。
山形の地酒は豊富に揃っており、角打ちで飲んで気に入ったお酒があれば買ってお土産にしたり、旅館の部屋に持ち込んだりするのもありだ。

棒たら煮が美味しい

結局私たちは初日の夕方、2日目のお昼と夕方、3日目のお昼、と2泊3日の滞在中合計4回もお邪魔してしまった。
お店は若い店主ご夫妻とお父様のご家族で営まれており、代わる代わる店番をされているようだ。皆さんとても穏やかで優しい。
寒さにやられた身体をふるわせて中に入り、カウンターに座ってさっそく熱燗を一杯注文する。
コップになみなみ注ぎ、電子レンジで温めるワイルドスタイルだ。
が、ただのコップではない。可愛いイラストがあしらわれた、小洒落たカップ酒の容器だった。てっきり武骨なコップかお猪口で供されると思っただけに、びっくりする。
銘柄は「上喜元 生もと 特別純米」である。生酛の厚みがありながらも、飲みやすく、爽やかさが感じられるテイスト。
だが、そんな細かい味わいは二の次だ。とにもかくにも、寒さにやられた身体に注入する点滴だった。ぐっと喉を駆け下りる熱い酒に、細胞が蘇えってくる。

熱燗が入ったカップ

アテに「クリームチーズと酒盗」を頼んだ。おつまみメニューはクリームチーズ、生ハム、すじこ……、シンプルだが酒が進む小皿ばかりだ。
ボリュームがある料理はない。なお、店内に売られている乾きもの、スナックなどをレジで会計して、つまみとしてカウンターで食べることもできるようだ。

クリームチーズ酒盗

みるめさんは、冷酒の「三種利き酒セット」を注文した。
グラスに1杯ずつ3種類の日本酒が飲めて700円と、かなりお得な値段設定だ。
冷蔵庫には豊富な種類の一升瓶が冷えていて、すべて山形の地酒である。
白露垂珠、栄光富士、山の形、杉勇、楯野川、嵐童、花羽陽、天弓……。
関東で比較的出回っているものから、あまり聞いたことがないものまで、それぞれの特徴を丁寧に説明してくださる。
私も少し味見をしたが、さすが「吟醸王国」といわれる山形、クリアな味わいとキレで、スイスイ飲めてしまうものが多かった。
浴衣に羽織姿のお客さんが入ってきてカウンターに座る。
薄着ではないかと思ったが、湯上がりだと平気なのだろう。皆、利き酒セットを頼んでいた。

利き酒セット

ここで、私の座っていた場所の背後にガチャガチャが置かれているのを発見、「カネヤマ商店の昭和平成を乗り越えたデッドストック品が当たるガチャ」と書いてあった。
奥様に訊いてみたら、お店にあった古いものが当たるそうで、みるめさんがチャレンジしたところ葉っぱの形をした黄色い菓子皿をゲット。

カプセルの中に賞品そのものが入っているわけではない
葉っぱの形がポップなお皿

ついでに、気になっていたカップ酒の容器についても質問すると「ひじおりの灯 公式ワンカップ」の第三弾で、まだ店内に売っているという。
「ひじおりの灯」といって、毎年夏、複数名の画家が灯篭絵を制作し温泉街に飾って灯すイベントが開かれており、そのために作ったカップ酒とのことだ。
第一弾、第二弾もカップを見せていただいた。赤、黄、緑と信号機のようにならび、どれも絵が面白く美しい。
何よりそれをコップとして使っているのが素晴らしいと思った。
ガチャといいカップ酒の空き容器といい、処分してしまいがちなものを残し、活用するカネヤマ商店のアイディア、センスに、どことなくアーティストの匂いを感じた。

ひじおりの灯 シリーズ

さて、もう一杯といきたいところだったが寒さにやられたのかイマイチ胃腸の調子が悪く、この後夕食もあるし、初日はこれで切り上げた。
雪は強く降り続いている。早く湯に入りたい。身体を肘折の気候に慣らし温泉で英気を養って、明日はもう少し飲みたいと思う。

歩き慣れぬ雪道

しないことをすること 湯治の本質

翌朝、肘折の人達は早くからもくもくと働いていた。
昨日は源泉の清掃、そして今日は雪かきだ。人任せにせず、なんでも自分たちで手を動かす習慣なのだろう。

対して私は起きて飯を食い、湯に入ると、やることがない。
遠出して散策したり観光に行こうにも、雪が阻んでいた。
窓を開けて手を伸ばしただけで寒さに震える体たらくだ。
日中は目と鼻の先のカネヤマ商店でビールを飲み、ちょっと離れたラーメン屋で昼飯を食べるのが精一杯だった。

雪かきをする人たち

宿の廊下に「湯治とは、何もしないこと」と書かれたポスターが貼ってあるのを見つけた。
肘折温泉は「湯治場」として1200年もの歴史をもつ。農閑期の冬、湯治客は鍋や釜を持ってきて自炊しながら長期逗留し、酷使した身体を癒したという。
私のよく知る箱根や熱海といった、観光やグルメの足し算を提供するような温泉街とは対照的だと思った。
肘折は都会の延長線上にもなければ、リゾートでもない。
現代の温泉地の逆をゆく、引き算の世界なのである。

静まりかえった昼さがりの肘折で、私は部屋から動かずにいる。ただ、いる。
雪は音もなく降って、肘折の家も車も樹木も草むらも、すべてを匿してしまった。
だが、雪だけでよいと思った。
パソコンを広げて仕事をしているようで、していなかった。
本を読んでいるようで読んでおらず、Youtubeを見ているようで見ていない。
いつのまにか、部屋の外から私を包むように降りしきる雪の無音こそが最高のBGMだということに気付いた。

雪に埋もれた橋

夕方、共同浴場である「上の湯」に行ってみる。
肘折温泉のルーツともいえる歴史ある湯は、泉質もさることながらその崇高な雰囲気に圧倒されてしまった。
ただ湯舟だけで、シャワーも洗い場もない。
地蔵様が祀られた脇からとろけるような湯がこんこんと湧き出で、薄暗く湯煙が立ち込める空間は、ぞっとするほど霊験あらたかで、聖堂のようだった。

そこにいる先客たちはみな寡黙であり、ひとりひとりなにかを耐え忍んでいるかのように、じっとしている。
だが、その顔は朝から働きづめの身体に沁みる湯を堪能する、偉大な表情に違いなかった。
靄で霞むなか湯舟に入ると、周囲のへりに腰をかけ半身浴をする地元の男たちが私を囲む。光の具合で彼らは黒光りし、まるでロダンやブールデルの彫像に見えた。
湧き出る湯が、ボブ・マーリーの歌声のように身体に浸透する。私の体調は回復していった。
その足で、またまたカネヤマ商店に立ち寄る。

上の湯入口

カネヤマ商店(2日目)

カウンターに座り、まずは昨日飲み比べたなかからピックアップした冷酒「白露垂珠 無濾過純米、超にごり生酒」から始めた。
どろどろに濃ゆく濁っているのに驚くほどすっきり辛口という不思議なお酒、湯上がりの一杯には最高だ。

超にごり

続いては熱燗。「鯉川 純米 辛口原酒」をいただく。
ひじおりの灯シリーズではないカップ酒の容器で出していただいたが、これもまたかなり芸術性が高い素敵なプリントがほどこされている。
この店のコップのレベルの高さ、いったいどうなっているんだ……!? カップ酒ファンにはたまらないだろうと思った。
全量純米酒、燗にして美味しい味わいを追究している鯉川だけあって、たまらないコクと旨みが喉から胃へかけ流される。しかし決してクドくないのがさすがだ。
少し湯冷めしかけた身体が、また温泉に入りなおしたように温まっていく。

ダチョウがモチーフの絵柄

おもむろに、地元のご常連と思しき年配の客がやって来た。慣れた様子でウイスキーの瓶とポッキーを買い、ロックグラスに注ぐ。
話をお聞きしていると、今まで病気を患っていたのが本日快癒したようで、医師によって飲酒が解禁されたという。彼にとってなんとも素晴らしく、めでたい日だった。
大げさに喜びはしないが、ポッキーを齧りウイスキーをすする全身から嬉しさがにじみ出ている。
静かな店内に彼の言葉が喜びをじんわり運んでいくようであった。

やがてカウンターに若いご主人が入ってきて、色々と話がはずんだ。
素敵なデザインのカップ酒が充実してますねと言うと、ガラスプリントのカップ酒が、かなりお好きだということ。
そして「ひじおりの灯」は東北芸術工科大学がサポートしてきたイベントだということだが、ご主人はその大学のご出身だった。
なるほど、これで、日本酒、カップ酒、アート、カネヤマ商店が1本の糸で繋がったわけだ。

話は尽きない

私たちの友人に浅沼シオリさんというカップ酒のコレクターがいることをお伝えしたところ、なんと浅沼さんのZINE「かわいいワンカップ手帖」を2冊ほどお持ちだった。
ワンカップ手帖がまさかこんなところでお目にかかれるとは、と思わず嬉しくなる。
レアなカップ酒のコレクションも見せていただくなど、楽しい時間があっという間に過ぎていった。

ワンカップ手帖

お酒の方は「白神生ハムとクリームチーズ」をつまみに山形産の「赤ワイン」をいただいたあと、関東ではあまり見かけない「初孫 純米大吟醸 しぼりたて新酒」を味見して、さらには閉店の18時を幾らか過ぎながら「花羽陽」を造る大蔵村の酒蔵、小屋酒造の「最上川 特別純米」でフィニッシュしたが、夕飯前に飲みすぎ、早くも強かに酔ってしまったようだ。
そのくらいから記憶がおぼろげで、気付いたら肘折を離れる日の朝を迎えていた。

夜中にみえるがまだ18時すぎ

最終日3日目、バスの時間ギリギリまで地酒とお土産を物色し、かばんに急いで詰め込んでカネヤマ商店、そして肘折温泉を後にする。
帰り、ご夫婦が私たちのバスに手を振ってくださっているのが見えて、目頭が熱くなってしまった。

レトロな旧郵便局舎

エピローグ

今回の旅は、豪華絢爛でも瀟洒でもなく、あくまでも素朴に、秘湯と山形の地酒を味わうことができた。
カネヤマ商店は観光地でもなく、ただの酒屋、ただのバーでもない拠りどころ、しいていえば観光客にとっての「大人の駄菓子屋」ではないか。
子どもの頃、駄菓子屋は「決して何も起きない日常」の一コマを形作る場であった。何かを買ってさっと帰っていく者もいれば、ちょっと遊んでいく者もいる。たいした目的もないのに何故か寄ってしまい、ポケットの中のコインがなくなったものだった。
肘折での「何もしない湯治」の合い間、カネヤマ商店にふらっと寄って、地域の人がお使いにやってくる横で、山形の地酒を飲む。
旧い郵便局の建物をぼーっと見つめていると、湯上がりの身体が肘折の歴史と日常に溶けこむようで、それがなんとも贅沢な時間であった。大雪という非日常も、ここでは日常だ。

面影

帰りの新幹線で車窓を眺めながら「ところで私を肘折に導いた、秋に酒場で声をかけてきたあの人は何者だったんだろう?」と考えた。
ふと、上の湯に鎮座していた例の地蔵様の顔が思いだされた。
このあと東京に着くころ私の身体を悪寒が走り、家に帰ったらすっかり風邪に罹ることになる。

今回取材したお店:
カネヤマ商店
〒996‐0301
山形県最上郡大蔵村大字南山506-3
OPEN 6:00-18:30(冬季は6:30 OPEN)
年中無休
TEL. 0233-76-2123

鳥野みるめ……1990年生まれ。鎌倉市由比ヶ浜に自宅兼アトリエを構える写真家。ライフワークとして山形県の蔵王で樹氷を撮影しており、今まで北千住/kikiや山形/郁文堂書店にて個展「ゆきのき」を開催。山形の日本酒をこよなく愛している。

浅沼シオリ……カップ酒愛好家。お酒が好き。手元に残るかわいいものも好き。どちらも満たすカップ酒の魅力を、SNSやZINEなどを通して紹介しています。夢はカップの印刷工場見学に行くこと。


著者:DJ Yudetaro
神奈川県生まれ。DJ、プロデューサー、文筆家。写真家の鳥野みるめ、デザイナー大久保有彩と共同で熱燗専門のZINE「あつかんファン」、マニアックなお酒とレコードを紹介するZINE「日本酒と電子音楽」を刊行中。年二回、三浦海岸の海の家「ミナトヤ」にてチルアウト・イベントを主催。Instagram:https://www.instagram.com/udt_aka_yudetaro/
Twitter:https://twitter.com/DJYudetaro/

この連載ついて
日本酒を愛するDJ Yudetaroが全国の熱燗を求めて旅する連載企画「あつかんオン・ザ・ロード」。毎月15日の18時公開予定です。第8回は2月15日18時に公開します。

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