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第6話 群馬県前橋市編|あつかんオン・ザ・ロード|DJ Yudetaro

彼はどこもが坐ったり居たりするのに良いわけではなく、ベランダという限られた中にもわたしが最良になれる場所が一個所だけあることを説明してくれた。その場所を他の所から区別することがわたしの仕事であった…(中略)…すなわち、確信をもって正しい場所を決定できるまでに可能性のあるすべての場所を「感じ」なければならないのである。

カルロス・カスタネダ『呪術師と私 ドン・ファンの教え』

Kita-Kanto is calling us

山の上では、何を食べても美味い。温かい食べ物なら、なおさらだ。
たとえばカップラーメンは、食べなれた安いものであっても、山では何故か妙に美味く感じる。
だから、当然日本酒の熱燗も美味い。
山の上で飲む熱燗は、どんな良い居酒屋もどんな高級な酒もかなわないと思えるほどに美味い。魔法瓶に入れて持っていくのではなく、その場でお湯を沸かして燗をつけるのがポイントだ。

ドーパミン溢れる山の景色

山がなぜ食べ物をこれほどまで美味しくさせるのかは分からないが、ドラッグのような独特の作用があるのだろう。
足は痛くなるし、息も苦しくなる、時には危険な目にも遭うが、しかしそれでも山に登るのは、その謎に放出される山特有のドーパミンを摂取し、湯を沸かして、携行した食糧を貪り食うためといっても過言ではない。
というわけで、第4回の郡山市編でも同行したDJ Razzとまた夜中に待ち合わせ、山へ登って熱燗をキメる旅に出かけた。

今回の出発点はJR高崎線の上尾駅。駅前を闊歩するギャル4人が全員お揃いのスウェットを着ているのが奥ゆかしい。

Ageo - x-girls

上尾ギャルも気になるが気持ちを切り替えて出発、国道を車でひた走り、群馬に向かう。
当初は谷川岳を攻めようとしたが、ロープウェイが休業中ということを知り断念、同じ群馬の山でも少しイージーな赤城山に目的地を切り替えた。
一気に肌寒さが増した11月中旬、車中泊を行う場所は標高が高い登山口では寒すぎるため、平野部の道の駅とする。
それでも夜は冷え、持参した-5℃対応のシュラフでもギリギリの寒さだった。

道の駅の夜明け

朝、国道沿いのうどんチェーン店で朝食をとったあと、赤城山方面に北上、前橋市の外れのデイリーヤマザキで水や食糧を買い込み装備を整えた。本来ならばここでカップ酒を調達するのがよいが、今回はDJ Razzが会津土産で持ってきた「榮川」があるため、地酒「赤城山」のカップに心を惹かれたものの購入は控えることにする。
もう1本買っておけばいいのではないかと思われるかもしれないが、山行の荷物はなるべく軽くし余計なものは持っていかないのが鉄則だし、後述するがピクニックと違って酔っぱらうわけにはいかないのである。

赤城山麓へと続く道

車窓に住宅が少なくなり、いつのまにか結構な急坂を登っていた。
麓では鮮やかに色付いていたのに、車がつづら折りの林道を進むにつれて樹々の葉は落ちていって枝だけとなり、登山の拠点となる「赤城公園ビジターセンター」周辺に着くと、すっかり冬の光景となっている。
おそらく紅葉が盛りを迎えた数週間前だったらびっしりと埋まっていただろう駐車場の車は土曜日だというのに随分まばらで、更にそこから登山に繰り出そうという物好きは、数名もいないようであった。
車のドアを開けると、肌に突き刺すような寒風が襲ってくる。しまった、今日は風が強い。私は燗をつけるための火をおこせるだろうかと心配していた。

God bless atsukan on the Top

赤城山登山道の案内図

さて、赤城山といっても、実際に赤城山という山はなく、個々に名前を持つ幾つかの山が連なった全体名称ということだ。
黒檜山が最高峰ということだが、急登らしいのでやめにして、覚満淵という小さな湖と湿原を通ってから駒ケ岳に登るルートを選択した。
木道が整備されている覚満淵は尾瀬のような湿原で、紅葉のときはもちろん、新緑、初夏の花盛り、雪景色など色々と楽しめそうな気がするが、今日の景色はただ荒涼とした枯れ草の原野が広がるばかりである。我々は見事に季節外れに来てしまったらしい。
だが、私はむしろこの寂寞とした光景を好ましく思った。さみし気な色調が、熱燗をより美味しいものにしてくれそうだ。それに、コバルトブルーの沼とベージュの草原の対比もなかなか美しいではないか。

フェルメールの絵で少女が巻いているターバンのような青の帯

覚満淵を抜け鳥居峠まで歩くと、風はますます強さを増した。
整備された緩やかな道は終わりを告げ、ここからは駒ヶ岳へ向けて登攀が始まる。
まもなく大きな岩を乗り越えるように進む悪路になり、すぐに息が切れそうになった。日陰の地面には霜が残り、それが溶けてぬかるんだ所もあり、体力を消耗する。
だが、くじけそうになる時、必ず救いの手を差し伸べてくれるのが山の不思議なところで、もうダメだと思うと登りが緩やかになって、楽になった。
しかもあれだけ身体を甚振るように吹いていた風がやんだ。正確には、やんだというより、風が弱い場所に出たのである。
そこで休憩して、また登り始めると風は強くなったが、なぜあそこだけ風が弱かったのだろうか? ところどころでRPGのセーブポイントのように救われる場所があるというのは、どういうメカニズムなのだろう。自然の設計というのは本当に不思議だ。

神がここで休めと言っている

そして頂上から20分くらい手前の場所で、また奇跡的に風が穏やかなセーブポイントが見つかった。ちょっとした広場のように開けていて、見晴らしもよい。腰を休めて休憩するには最適な場所だ。もう私の眼には、ここが居酒屋としか映らなかった。
「頂上よりも、ここで熱燗飲むのが良さそうですね」
とDJ Razzも何かを感じ取ったようだ。
メシと酒のことを考えると身体も軽やかになって、我々は近所の銭湯にでも行くような感覚でサクッと頂上に到達し、サクッとポーズを決めてサクッとその場所に引き返してきた。

山頂でサクッと刺さる

さあ、食事だ。だが、椅子も机もないところだから、まずは座る場所を自分たちで作り出さなければいけない。

目を凝らして、地面の湿り気、ちょっとした凹凸、草の様子、岩の有無などを観察して、一番「しっくりくる場所」を見つける。
さらに火をおこすために、風がうまい具合に避けられるスポットだったら最高だ。これには法則性やマニュアルはない。かといって、どこに座っても同じ、ということもない。
「あ、あそこらへん、よさそうですね」
「いいですね!」
フィーリング、経験、勘と合意、だが自分たちで見つけ出したというより、神様に導かれたように、ちょうど腰を落ち着けられる斜面と、キッチンになりそうな平らで石も少ない窪みがセットになった場所に、リュックをおろすことができたのだった。

これが熱燗できる最小セット

まずはお湯を沸かしていこう。
繰り返すが、山の装備は必要最小限、最軽量にとどめるのが重要だ。私は掌に乗るほどコンパクトなアルコールストーブと五徳、ポットを愛用している。燃料用アルコールわずか50ミリリットル程度で充分お湯を沸騰させることができる優れもの。なおDJ Razzはそれより小さいストーブを、なんと空き缶から自作している。

ペラペラだがこの風防が効果大

風は穏やかだし風防も設置したため火はスムーズに着火した。
マグポットのお湯が沸いたらカップ酒を沈め、時間にして3~4分くらい、良い匂いが漂ってきたら取り出す。このときとても熱いから、グローブはあった方がいい。

会津は遥か彼方

「榮川 エイセンカップ 特醸酒」の燗ができあがった。
まずひと口飲んだDJ Razzが思わず「うーーー、これ!」と声をあげる。
私も続いてシェラカップに移していただく。とにかく山での最初の一杯は、味わいとかテイスティングとかではなく、注射のようなものだ。濃ゆい熱い酒が山のドーパミンと融合して五臓六腑に沁みわたり、風に耐え急坂に酷使された全身の肉体は細胞レベルで奮い立ち、覚醒していく。HP、MPともに一気に恢復し、猛烈につまみを貪り食いたい衝動に駆られていった。澄んだ空気こそ最高の酒のお供かもしれないが、欲望に従い食糧を補給していこう。

シェラカップが平杯代わり

アテとしてコンビニで買ったのは、「チータラ」「イワシせんべい」という定番つまみだった。もちろん悪くない。熱燗にもよくあった。
だが、DJ Razzが家から持参した意外な食糧から、驚異のドンピシャ・ペアリングが爆誕したのである。
それは「魯肉飯(ルーローハン)の缶詰」であった。
謎のブランド、それも見切り品で激安だ。缶詰で売れ残っていたのだから、クオリティは推して知るべしだろうと思った。
しかも冷え切っており、缶の中身は固まった油がグロテスクで写真を載せられないレベル。正直DJ Razzには申し訳ないが、第一印象では食欲をそそられなかった。ところが、いやいや口に入れてみるとこれがなかなかいける。
そしてエイセンカップの熱燗で追いかけてみたら、めちゃくちゃ美味いではないか!
濃い甘辛のタレと油が、榮川のソフトな旨み、甘みに包まれて調和し、まるで山の妖精のエキスをいただいているような夢の味わいであった。

これが極上のつまみ達。総額500円未満

エイセンカップを堪能したあとは、お燗に使ったお湯でカップラーメンを作り、締めにおにぎりとお茶と一緒に流し込む。山で食べるカップラーメンはいつだって最高すぎる。特にカップヌードルの味噌味がお気に入りだ。

デイリーヤマザキならではの手製おにぎり最高

【注意すべきこと】
「え? 2人でカップ酒1本だけでいいの? 飲み足りなくない?」と思われるかもしれないが、登山を舐めてはいけない。もちろん、飲もうと思えばもっと飲める。だが、帰り道、酔っ払って足を踏み外しでもしたら、この先一生酒を飲めなくなるかもしれない。本来、利尿作用があり水分を奪うアルコールはスポーツの途中で飲むのには適していないだろう。(ビールなんてもってのほか)あまり勧められるものではないかもしれない。
あくまでも、「ほろ酔い未満」程度に量を抑えておく。また、水もたっぷり摂取しよう。念を押すが、酔ってはいけない。酒の量がちょっと多いなと思ったら、ためらわず山の神様に吸わせてあげよう。

大沼を見下ろす

さて、休憩を終え、私は関東平野を見下ろす絶景を楽しみつつ、種田山頭火や若山牧水にでもなった心持ちで帰路についた。(その割に一句も浮かばない)
行きとは異なるルートを選択し、ときどき眼下に現れる大きな青い湖を目標に道を下っていき、小一時間ほどで娑婆に着地する。
その湖は「大沼(おの)」というカルデラ湖だった。湖畔は開けていて、駐車場を中心に何軒か土産物屋や喫茶店、民宿などが建ち並んでいるようだ。
我々が戻るべきビジターセンターは反対方向だったが、せっかくだから少し見ていこうと思った。

Gezan and palace of lake

湖に続く数十メートルにも満たない通りに近付いた途端、その風景に私の脳のセンサーは針を振り切って反応した。
道の両脇に、食堂、ドライブイン、レークセンター……、昭和で時間が止まったままの、きわめて渋い古びた建屋が連なっているのである。

レ~クセンタ~

浜辺で開店休業中のボート乗り場に突き当たるまでのその通りは、シーズンが終わったのだろう、閑散としており、どこの店にもほとんど人影がない。
何ともいえないエモい感情に包まれた私の心に、いつのまにか「ここで熱燗を飲みたい!」という衝動が湧きおこった。
太陽が照っている正午頃とはいえ高地はそれなりに寒く、吹きつける強い風に体も再び冷え切っている。
我々は「暖房」の札がみえた一軒の食堂に、誘われるように入っていった。

「いらっしゃいませ…」誰も客がいない店内に入るとかなりお年を召した優しいお母さんが歓迎してくれたが、私の目は色鮮やかな店の内装に釘付けになっている。

お切込うどんが名物らしい

元は画家の方がオーナーだったらしく、奥の座敷には油彩画が飾られており、2階はギャラリーにもなっているということだが、何といっても広大なフロアを囲む鏡張りの壁とフォントが独特な看板類の意匠、それに天井から何本もぶら下がる色鮮やかな雪洞という組み合わせ、なんとなくキャバレーっぽさもある独特の世界観に圧倒された。

レジは店の中央に配置

しかし、不思議と居心地が良く落ち着くのは、それが奇を衒ったわけではなく、あくまでも自然だからだろうか。
それに暖房も気持ちいい。中央に置かれた旧式の石油ストーブは身体の底から暖めてくれるようで、エアコンとは全然違う気持ち良いぬくもりで我々を包んでくれた。

雪洞の赤の可憐さ

「お酒 赤城山1合」の貼り紙が見える。「お燗できますか?」と訊くと「はい」という返事。「やった! 燗酒にありつけるぞ」と喜んだのも束の間、なんと「すみません、いま日本酒を切らしておりまして」という報告があった。
だが、引き下がるわけにはいかない。
「じゃあ、そこら辺のお土産物屋でお酒を買ってくるので燗をつけてもらうこと、できますか?」と提案すると快諾してくれた。
道の向かい側の土産物屋で赤城山の1合瓶の詰め合わせセットを購め、特別本醸造を渡して温めてもらう。
我儘を通してもらったので燗付け代を幾らかお支払いしたい旨を申し出たが、「いえいえ私たちのミスですから」ということで固辞された。

味噌こんにゃく
赤城山の燗

そんな優しいお母さんの人柄がにじみ出たように甘くまろやかな「味噌こんにゃく」を肴に飲んだ「赤城山 特別本醸造」の燗は、滑らかで丸くほっこりした味わい。赤城山は辛口が多いようだったが、これに関しては中口というか、辛さはさほど感じなかった。

下山後の冷えて固まった身体が、ストーブにあたって熱燗を流し込んでいくことでみるみるほぐれていく。
「これよかったら食べて」
サービスで小鉢を持ってきてくださった。「油揚げとわかめを炊いたもの」のようだが、これが絶品で、特に油揚げの甘くて濃厚なこと、最高のおふくろの味、誰でもできそうで誰にもできない料理だ。
燗酒との相性も抜群だった。お母さんは決して赤城山に合う料理のペアリングを意識して作っているわけではないと思うが、自然にぴったりと馴染んでしまう。これが郷土の酒というものだと思い知らされた。

絶品の油揚げわかめ

特に話が弾んだわけでも、盛り上がったわけでもない。
我々以外客がいないがらんとしたサイケデリックな空間には、私たちのこんにゃくを食む音と呼気、その後ろではずっとプリンセス・プリンセスの曲が響き渡っていた。
だがしかし、とてもいい休息の時間が過ぎていったと思う。
鏡の反射のなかに、各々の記憶が呼び覚まされていったというか、雪洞のひとつひとつが何かを語りかけてくれていたような気がする。
帰り際、お土産ということで赤城山の一合枡までいただいてしまった。会計の値段は驚くほどの安さで、まるで無料でお接待されたようなものだ。
お店の名前は「もとき亭」といい、ご店主の若い男性の方も出てきて挨拶してくださった。
まもなくシーズンオフに入り、この食堂も4月まで閉めてしまうらしい。
厳しい冬を越し、来年になったら今度また熱燗を飲みに来てみよう。そう心に誓い、丁重にお礼をいって店を後にした。

もとき亭の外貌

「え? まだ2時前!?」
ずっと見ていなかったスマホをポケットから出してみて驚いた。
もう山に登って降りてきて熱燗を飲んだというのに、今日は間違いなく24時間よりもずっと長い時間を体験する日になるだろう。
まずは酔いを醒まして、温泉にでも入りたい。こんどは自分がお燗される番だ。そして何より、今宵の夜の街の楽しみも期待せずにはいられない。
「まあ、のんびり行動しましょう」
澄み渡る青い空と風になびく枯れ草を眺めながら、私たちはビジターセンターの方へと歩きはじめた。

大沼が見えなくなると、ひょっとしたらさっきの出来事はすべて夢か幻で、本当はもとき亭が建っていた周りは更地の草原だったのではないか? という考えが頭をよぎって、私はそっとスマホの地図を確認したのだった。

今回の取材先:
もとき亭

群馬県前橋市富士見町赤城山33
027-287-8116
年中無休 ※冬季休業あり


著者:DJ Yudetaro
神奈川県生まれ。DJ、プロデューサー、文筆家。
写真家の鳥野みるめ、デザイナー大久保有彩と共同で熱燗専門のZINE「あつかんファン」、マニアックなお酒とレコードを紹介するZINE「日本酒と電子音楽」を刊行中。年二回、三浦海岸の海の家「ミナトヤ」にてチルアウト・イベントを主催。
Instagram:https://www.instagram.com/udt_aka_yudetaro/
Twitter:https://twitter.com/DJYudetaro/

この連載ついて
日本酒を愛するDJ Yudetaroが全国の熱燗を求めて旅する連載企画「あつかんオン・ザ・ロード」。毎月15日の18時公開予定です。第7回は1月15日18時に公開します。

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