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[就職活動] 自分は何になれるのだろうか?

小学六年生の卒業文集、将来の夢は漫画家。中学三年の冬、将来の夢はイラストレーター。高校三年の冬、夢なんてものは思い浮かばなかったが現役で私立のデザイン大学に入学した。


そして大学三年の秋、就活のための面談で教授に言われた、

『『具体的に何がしたいか考えて具体的な企業名とか出てこないの?ずっと待ってればレーンみたいに次々と良い選択肢が流れてくることがあるとしてももうそんな時期じゃないよ。』』

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人と関わることは好きだ、コミュ力高いねとは友達にたまに言われる。絵を描くことは好きだったけど高校時代に所属した美術部で本気で絵を描いている人との差を知ってあまり好きじゃなくなった。デザインは苦手だけど人と関われることが多いし自分よがりのものじゃないものを考えてそれを受け取ってくれる人が喜んでくれたらとてもやりがいを感じられる、でもやっぱ苦手だ。

中学、高校での受験期における気付けば周りが勉強モードになっていたのと同じで気付けば周りが就活モード。〜に勤めたい、〜な仕事がしたい、インターンは〜〜〜…。凄いな、かっこいいなと思う。そんな中で自分は何をしたいのか、何ができるのかよくわからない。

でも社会に出たときに自分が一番になれるような、誇れることなんて実際のところ無い。あるけど気付けていないだけではないのかと思いたいところだが、きっと本当に無い。そんな気持ちに駆られて趣味のポケカでもいいから1位になりたいと思って頑張ったら結果は少しは残せたような気がする、けど当然一番じゃない。


就活のための面談へ戻る。

『『具体的に何がしたいか考えて具体的な企業名とか出てこないの?ずっと待ってればレーンみたいに次々と良い選択肢が流れてくることがあるとしてももうそんな時期じゃないよ。』』

ぐさっと刺さった。自分が何かで一番を取れるような才能がない特別な存在じゃないことを言い訳に、人生の選択から逃げていたということに気づかされた。


面談の日の夜は寝れずに、友人に朝方まで一番になれない人が何かを作る仕事についても必要とされるのか、そもそも就職できるのか、意味はあるのかとボロボロと涙のように、負け惜しみのような言葉が次々と口からこぼれ出た。友人は、知らないよ、ずっと性格診断でもしてろよなどごもっともなことを言いながらも

『でも、それでも君にしか作れないものは絶対にあるはずだしこれまでも作ってきたはずだよ。絶対に嫌だ、っていう道に行きさえしなきゃいいんじゃない。』

と。少しは気が楽になった。



就職活動はもう本格的に始まる、自分は何かで一番になれることはきっとないのだろうけど、それでも「自分らしさ」を自分で信じて、きっと「自分らしさ」を消して就活をするんだろうな。


そうぼやーっと考えながら歩き、生きていく。がんばろう。


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