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毒親って言えない

お久しぶりです、ことりです

夏風邪をひいたり、いろいろあり、
更新が途絶えていました

新しい家に引っ越して2か月ほどになります
慣れてきました

前の家より田舎だけど
私にはこのくらいの町が合っているなと
実感しています

自分について考えること


さて、病気になってから
自分のどこがいけなかったんだろう?
どうしたら早く治せるか?

ヒントを求めて
いろいろな論文や本やサイトや動画をみて
たくさん自己分析しました

初めはほんとうに
自分が弱いからだ
自分の努力不足なんだ
と思っていたけれど

それと同時に
両親に対する怒りというものが
爆発したのを覚えています

「怒り」への気づき

その怒りというのは
うつ病の症状の感情の制御困難さというものでも
あったと思いますが
理不尽な怒りではなかったと
今振り返ってみても思います

それはどんな怒りかというと

子どものころからずっと苦しかった
不登校なんて許さない
家にいてはいけない
家にいないふりをしなさいって言って
一切味方をしてくれず
学校から、先生たちから守ってくれなかったよね

私に求めて責めてばかりで
自分たちは正しいと信じて疑わなかったよね
学校に行けないのは気持ちが弱いから
弱い自分に負けるなって
追い詰めたよね

あなたのためを思って
こんな子に育てた覚えはない
あなたのことが恥ずかしい
こんな言葉を投げかけてわたしの自尊心を奪ったよね

私が学校に行かないって言ったら
私の大事な宝物も心も壊したよね

ざっとこんなところです

歪んだ考え

幼い子どもだった私は
親の言動を真に受け
両親の喧嘩が絶えないのも
守ってもらえないのも
愛されないのも
全部全部私が悪い子だからなんだって
本気で思っていました

大学に入り心理学や精神医学や倫理哲学を学び
遺伝と環境という概念も学び
どんな子でも親に愛され保護される権利があり
学校に行かないからと言って親に精神的に追い詰められるいわれはないと
知りました

それでも自分のこととなると
自分が弱かったから
いい子じゃなかったから
愛されるためにはもっと努力しないと
という思いはぬぐえませんでした

転機、「毒親」という言葉との出会い

一人暮らしを始めたのをきっかけに
私は初めて両親と物理的にも心理的にも
距離を置くことができました

そうしてやっと、客観的に
自分の過去や
パーソナリティや
親子関係を
捉えることができました

どうやら私は両親に傷つけられて生きてきたらしい
ということが
初めてわかりました

前述の怒りも正当なものであるとわかりました

SNS上の友達には
それ毒親だね~って言われたし
姉と腹を割って話した時にも
うちは毒親だからねなんて言ってた

毒親という言葉
最近よく聞きます
とくに精神疾患当事者の界隈では
プロフィールに毒親育ちと書いて
それをひとつアイデンティティのように捉えている人も
いるようです

私ももちろん知ってました
大学時代に毒親に関する書籍をいくつか読みました

でも他人から言われるまで
自分の親が毒親だとは認識していませんでした

うち、毒親だったのかなぁくらいです

呪いの言葉

私は正直、
未だに両親を毒親と言い切ることができません

もう気づいてはいます
最低限の自尊心や自己愛、存在価値感
両親から愛されているという意識
無条件に愛される権利のある存在であるという認識
全てを奪い与えなかった私の両親は
世間でいうところの毒親であると

でも
親に感謝しなさい
親に逆らうな
家族でいられることを当たり前だと思うな

とシャワーのように
毎日呪いの言葉を浴びせられて育てば

親を悪いように言うことなんて
できないです

毒親だなんて口が裂けても言えません

だって育ててもらったから
たくさんお金をかけてもらったから
だから感謝しなきゃ
毒親だなんて言ったらお母さん泣いちゃうよね
私のせいで自殺しちゃったらどうしよう

って思います

もはや、私がうつ病になったという事実が
両親を責めてしまっているのではないかと
申し訳ない気持ちでいっぱいです


うまくまとまらないけど
毒親を毒親と言い切れる人をうらやましく思う日もある

そんな風に思う今日この頃です


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