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才能がないからと言って何もしない理由にはならないという常識的な話、平凡の難しさ。

何をするにしても「俺って才能が無いな」と言って諦めるのが私の口癖だ。

実際、才能は無いのだろう。書く才能も、話す才能も、聞く才能も、努力する才能も、ありとあらゆる才能が自分には無い。これは揺るぎない事実である。何も一人称視点で自分を卑下して嘆いている訳ではない。二人称、三人称、四人称、主観、客観、どの視点から、どの角度から見ても自分には才能が無い。

もし、自分に才能があるなら世間は俺を放っておかないだろうし、俺も世間を放っておかないはずだ。しかし実際のところ、世間は俺を放っておいているし、俺も世間を放っておいている。挙句の果てには俺も俺自身を放っておいている。

このnoteだってそうだ。こんな平凡でボロ雑巾のように使い古されたテーマをもったいぶって書いている時点で自分には才能もセンスも無いことが分かる。書いたって書かなくたって何も、何にも影響は無いのだ。


ただ才能が無いというのは事実であって、逃げ出す理由にはならない。才能が無いからと言って自分は自分を見捨てるわけにはいかない。そんな当たり前のことに最近やっと気づけた気がする。才能がなくても、自分は突き進むしかないらしい。四方八方に。さもなければ自分は。

少し話を変わるが、絶賛就職活動中な自分は自分の人生を振り返る機会が増えた。中学生の頃、中二病を発症した自分は、自分になんの才能もないこと、自分が平凡であることに少し苦しんだ。これから先、自分は平凡に生きて、平凡な幸せを掴み、平凡に死んでいくのだと、自分の未来に薄いベールに包まれた絶望を感じた。そして、どうにかして平凡とは違う異端になれないかと、頭の片隅の辺境の方で考えてはいたが、特に何もせず中学生活を過ごした。自分は未来を甘く考えていたのだ。異端で異彩を放つ人物になり大きな幸せを掴むことはできなくても、ありふれた人間として平凡な小さな幸せなら最低でも味わえると思っていた。

大学四年生になった今、自分は中学生の時に嫌がっていた平凡で小さな幸せすら掴めそうにないことに気づいた。このまま行っても、大した企業には行けないだろう。そして仕事もできるようにはならないだろう。窓際に追いやられる自分が容易に想像できる。そして結婚もできず、蓄えもなく、友達もごくわずかなままで天寿を全うさせられるのだ。それは自分が子供の頃思い浮かべていた小さな幸せにすら達しいていない。


この年齢になるまで自分の人生に責任を持ってこなかった自分のような人間はまともな幸せすらつかむ権利は一生与えられない。そんなことになるくらいなら、自分で自分の命を絶った方がマシなのかもしれないが、それをする勇気すらないし、成人になったというのにくだらない妄想に縋り、なんとなく未来は明るいのではといった予感に取り憑かれ目を覚ませないでいるから、自殺なんて勿体無くてする気が起きない。

自殺をしないとすると自分は自分の人生を頑張るしかない。これまで頑張れなかったわけだから、今更頑張ったって大して人生は良くならないだろうし、そもそも何も頑張れる気がしない。しかし、ここがラストチャンスである。大学を卒業できて、どこかの会社に引っかかって入社できたら、してしまったら、自分には考える時間は与えられずただ色のない毎日をやり過ごすより他になくなってしまうのだから。

だから、この期間を利用して自分のやりたいこと、やっても良さそうなことを見つけ出そうと思う。もし見つからなければ自分は自分の運命を受け入れて慎ましく生きよう。別に幸せでなくても良いのだ、酒やタバコに縋れば良い。

どうやら過去に戻ることは現代の科学理論では不可能らしいが、なんらかの手違いがあってこの文章を過去の自分が見ることになったら、自分の人生についてよく考えておくことを先輩として忠告させてもらう。そして何かやりたいことを見つけて、それに向けて突き抜けて欲しい。もし何もやりたいことがないなら自分の目の前にあることを全力で頑張って欲しい。どんなにつまらなくても。そしておそらく多数あるエンドの中で一番のバッドエンドを迎えるであろう自分とは違う結末を迎えに行ってくれ。






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