「SNSに疎すぎて、生きにくい」

初めてのSNS~LINE~

初めて私が使ったSNSは、LINEだったと思う。高校生になるのと同時にiPhone6(多分)を買ってもらったのだ。そこで友人に教えられてインストールしたのがLINEである。

ただ、日本人の大半が使っているだろうこのLINEに、私は最初忌避感を抱いた。いや、薄れてはいるものの、この忌避感は今もなお私に中に存在している。

LINEがなぜか好きになれない。これはおそらく自分に使いこなすことができないものだと直感していたのだ。

それは私のコミュニケーションへの忌避感と直結しているのかもしれない。

自分の時間が何よりも

人と会話することは楽しい。

まだ20数年しか生きていない私ではあるが、そのことを強く実感している。

ただ、コミュニケーションは楽しい一方、面倒ごともたくさんある。それが人との触れ合いの醍醐味でもあるのかもしれないが、中学時代の私はそれを受け入れいることができなかった。

SNSが苦手、と言ってもインターネットが苦手なわけではない。そうでなければ、noteというプラットフォームでわざわざ文章を書いてはいないだろう。私が根本的に苦手なのは、SNSの最初のS、すなわち「Social」の部分である。

現実の場を共有して、コミュニケーションを取らなければならないのならば、それを拒むことはしない。そして、実際にコミュニケーションをとってみると、案外楽しいことのほうが多い気もしていた。

けれど、私にとっても最も重要なのは自分一人の時間である。一人で本を読んだり、インターネットをしたり、気ままに寝たり。そうした人の目を気にしない自由な時間が、何よりも大切だったのだ。

ただ、LINEの性質上、どんな場所でも連絡が取れてしまう。多くの人にとって良いはずのこの性質を、私は自分の時間を奪うものとして、感覚的に嫌っていたのだろう。

と言っても、学生にとって、クラスのほぼ全員が使っているコミュニケーションツールを使わないという選択肢はまずありえない。そこで、仕方なくLINEを使ってみるも、アプリを開くことはほとんどなく、連絡無精になりがちだった。

そうなると、友達も私にLINEで話しかけてくれることが少なくなっていく。こうして、SNSを使わない、そして使えない私がつくりあげられていった。

2番目のSNS~Twitter~

LINEを始めとしたSNSを私は使いこなせない。けれど、周りの友人は毎日楽しそうにSNS上のやり取りについて話している。自分から避けているだけなのに、そうなると寂しさと劣等感を感じるのが、私の人間性だった。

そうした寂しさと劣等感を感じつつ、SNSが苦手なまま、私は高校生になった。今まで全校生徒が100人にも満たない田舎の中学校に通っていた私は、いきなりたくさんの人がいる環境に翻弄されることとなる。

中でも特に苦労したのが、やはりSNSでのコミュニケーションだ。

「Twitterのアカウント教えて。」

「ごめん、Twitterやってない。」

「そっか。」

こんな会話を何回したか覚えていない。そして気が付くと、皆がSNS上でつながっていて、私一人だけ現実世界だけに取り残されていた

「さすがにヤバイ」と感じ、Twitterのアカウントを作ったこともある。けれど、LINEにすら馴染めなかった私は、当然Twitterも楽しむことができず、直ぐにアプリを開かなくなってしまった。

自意識過剰は良くない

当時の私は本当にSNSに疎くて、「毎日、何かツイートしなくてはならない」と考えていた。けれど、友人から「俺はほとんど見ているだけだよ。」と聞いたのをきっかけに、Twitterを始めてみた。

しかし、ほとんど見ているだけ、と言っていた友人も何度かはツイートしていて、その投稿に「いいね」がされていた。

この「いいね」やフォロワー数といった数字が、私にSNSを怖いと思わせる最も大きな要因である。

自分の発言をどれくらいの人が見ているか、どれくらいの人が関心を持っているかが誰にでも確認できる。そんな環境、恐ろしくて所属したくない。

そう思ってしまう私は、おそらく自意識過剰だ。ただ、どうしてもどの人の発言に、いくつの「いいね」がされているか気になってしまう。そして、そのことを自分の立場に当てはめると、もう怖くてツイートなんてできない。

といった感じで、そうした他人の目に触れること、そして他人の目に触れることを気にしている自分が嫌になり、Twitterを全く見なくなってしまった。

3番目のSNS~Instagram~

これまで書いてきたように、私はSNSに疎い。そのため、間違っているかもしれないが、現在私たちの世代の主流なSNSはInstagramだと思う。

外食に行くと、ほとんどの店に「Instagramでシェアしてください」といった趣旨の張り紙が存在するし、私と同じくSNSに疎い友人でも、Instagramはとりあえずといってやっている人が多い。

私はというと、Twitterと同様に周りに流されて始めて、Instagramも直ぐにやらなくなってしまった。今はログインできるかもわからない。けれど、そうも言っていられない事態となってきた。

私は今年から新入社員として、とある会社に入社した、同期は9名で、徐々に仲良くなってきているところだ。そこで、またあの発言が出た。

「Instagramのアカウント教えて。」

私以外の8名は、全員Instagramをやっていた。とりあえず休み明けにアカウントを作って同期に教える運びとなったが、明らかに出遅れている。

これから恐らく別々の場所で働いていく同期達。彼ら彼女らがSNS上で連絡を取り合う中、一人だけ取り残されるのはさすがにつらい。

今までも、そうしたことはあったと思うけれど、今回はこれまでの失敗経験を糧にして、Instagramを頑張ってみようと思う。

ビジネス運用するわけでもないのに、Instagramを頑張る、という時点で何かが間違っているのかもしれないが。

n番目のSNS~note~

ただここでInstagramを頑張って続けてみようと思えたのは、自分でも意外である。今までの自分なら、「そういうの疎くて」と言い訳して、Instagramを始めないことだってあり得た。

微々たる成長ではあるが、この心境の変化はnoteを書くことで生まれたものだと考える。

SNSを広義の意味で捉えると、noteもその一部であろう。ただ、note執筆を始めた主目的が文章の練習だったため、そこまで他者の反応を気にしてはいなかった。

いや、気にしていなかったというと語弊がある。正確には「誰かに反応を貰える」と想定していなかったのだ。だからこそ、最初の投稿に「スキ」が付いたときは驚いたし、非常に嬉しかったが。けれど、「スキ」がないことへの劣等感はあまり存在していなかった。

noteを書くことが、私に良い影響を与えてくれている。私にとって、初めて心から肯定できるSNSが、このnoteというプラットフォームになっていた。

おわりに

ここまで、自分のSNS遍歴(と言ってもほとんど何もしていないのと同じだが)とそれに対する感情について書いてきた。note執筆を通してSNSへの忌避感が薄れてきている。このことは、今回のnoteを書き始めてから気が付いたことだが、私にとって良い変化なのだろう。

とりあえず、同期と連絡を取るためのInstagramと、noteの更新を呟くTwitterを開設してみることとする…(怖い)

以上、コトレでした。

追記

Twitter連携してみました。

おそらく呟くことは少ないですが、このTwitterが人と繋がるきっかけにになればいいな、なんて思っています。

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