ラ行變格活用は二度死ぬ?
21/12/02/18:00頃:
Adventar「言語学な人々」の締め切りに合はせて、取り敢へず上げます。詰め切れなかったので、改稿豫定。
自然言語における動詞
人閒が意思疎通や思考に用ゐる言葉 (=自然言語) のうち、「誰が何をした」だとか「どこに何が有る」だとかを表す要素は、言語學において動詞 (verb) と呼ばれる。日本語においては次掲 (1: 太字部) が動詞である。國語辭典においては、母音uに終はる次の形が見出し語と成ってゐる[注*; 稿末參照]。
ラ行四段活用
動詞は、文中のどの位置で何を表すかによって、自身の語尾を變化させる。たとへば、(1a) に擧げた「取る」は、次掲 (2) のやうに「-らう」「-り」「-る」「-れば」などゝ語尾を變へる。
「取る」の語尾變化は、(1--2) のやうにかな單位で捉へれば、特定の位置 (=語頭から數へて、n番め) に生じるラ行音「ら、り、る、れ」同士の交替である。この語尾變化は、ア段からエ段までの4段に亙ることから、國語敎育においてラ行四段活用 (略稱は「ラ行四段」) と呼ばれてゐる。
同樣の語尾變化は、(1b) に擧げた「有る」にも見られる。次掲 (3a--d: 太字部) が前掲 (2a--d: 太字部) と語尾を共有してゐることを確認されたい。
ラ行變格活用: 敵は本能寺に有り
(2) と (3) とを比較するに、「有る」の語尾變化もラ行四段に映る。ところが、「有る」は「取る」とは異なり、(1: 太字部) のやうな位置において「-り」といふ語尾も取り得るのである。次に例を擧げる。
「テーブル」「コップ」ではイマイチ雰圍氣が出らんので、(4a) のとほり「机上」「酒坏」に替へた。各種媒體において耳目にした (4b--c) も追加しておく。無駄に格調高くなってしまふが、そこは無視されたい。
(4a--c: 太字部) の語尾「-り」は、古い時代に行なはれてゐたものである (そこはかとなく感じられる格調の由來)。(1b, 4: 太字部) の位置に立つラ變動詞は、かつては「-り」に終はってゐた。この、「有る」に生じるラ行四段相當の語尾變化はラ行變格活用 (略稱は「ラ變」) と呼ばれる。
やっぱりラ變、100例有っても、大丈夫
實際は、ラ變「-る」形も、例外とはとても言へないほど多數見出だされる。たゞし、さうした例は大よそ次のやうに成ってゐる[**]。
(5)「-そ(゙)」「-なむ」「-や」「-か」のいづれかゞ文中に現れてゐる (いはゆる係り結び)。
(6) 疑問文であ(り、「なに (何)」「たれ (誰)」「いか (如何)」などの疑問語が文中に現れてゐ)る。
(7)「-の」が先行名詞を動作や變化の主體として機能させ得る[***]。
ラ變、一度めの死: ラ行四段への合流
古代日本語には、ラ變に同じく、文を終止させる時 (以下「終止」。e.g., 前掲 (1)) と、後續名詞を連體修飾する時 (以下「連體」。e.g., 前掲 (2--3c)) とで形を變へる活用型が複數存在した。たとへば、'落ちる' を意味する動詞の活用型。次掲 (8) のうち、aは終止の、bは連體の例である。
終止の形は、鎌倉時代以降徐々に連體の形に合流していく[*!]。その流れの中でラ變終止形「-り」も連體形「-る」に收斂していくのである。17世紀にも成ると、終止形「-り」が用ゐられる文脈は (文語調に?) 限定されてゐる。かう成ってくると、ラ變は最早ラ行四段である。
前掲 (4) のとほり、終止形「-り」は今も文語調の文脈にからうじて生き殘ってゐる。このことは重々承知してゐるが、鎌倉時代以降に進行していった終止形から連體形への合流を以って、終止形「-り」を持つラ變は一度滅んだものと見ておかう。
シン・ラ變
ラ變が去り、活用界には平和が訪れ ... なかった (平和とは)。實は、ラ變はしれっと、いや、使用頻度の面から言へば、大手を振って、堂々と生きてゐるのである。
「え、ラ變なんてもう無いっしょ?」と思ったそこのあなた。終止形「-り」に注目し過ぎて、見落としてゐますよ、完了・過去を表す接尾辭「-た」(e.g., 來-た, 見-た, 勝っ-た) や、九州諸方言に分布する形容詞接尾辭「-か」(e.g., 良-か, 固-か, 元氣-か) の存在を。
まづは完了・過去接尾辭「-た」から。16世紀半ば頃から日本に入って來た宣敎師たちの日本語敎科書であった『天草版平家物語』を見るに、「-た」の活用型はラ行四段(およびラ變)のそれとも異なる。同作品中の活用體系は次掲 (10) のとほり。「-た」とラ行四段との蜜月は短かく (そも〳〵有ったのかな疑惑も)、もとのラ變とも異なる活用型「シン・ラ變」にガラパゴス化してしまったのである。
(10) に似た體系は現代においても珍しくはない。たとへば、越中五箇山郷の伝統方言においては、(イ)「-た」の連體形も終止形に同じく「-0」であり、(ロ) 連用形「-れば」は失はれてゐるが、そのほかは (10) に等しい。
(アホなことに、英文を學友に校閲してもらふ前の版を印刷所に出してしまった爲、英語が酷い。)
「-た」の活用型は、薩摩地方北部や甑島 [こしきしま] 列島の伝統方言においても特徴的である。同方言においては形容詞接尾辭「-か」も特徴的であるから、ひと纏めにして、次に擧げる。
シン・ラ變の死: そして無活用型へ
變化の流れは絕えずして、しかも、もとのラ變にあらず。
完了・過去接尾辭「-た」の最果ては、恐らくは、讀者も慣れ親しんでゐる現代平凡日本語の無活用接尾辭「-た」である。最早、「-らう」形にしかラ行四段との共通點が見出だせない。シン・ラ變を超えた無活用型。
ラ行四段に合流したかと思へば、シン・ラ變と成り、それをも突き拔けて、無活用化。ラ變先生の次囘作にご期待ください。
おまけ漫畫: ラ變「-たり」から無活用「-た」へ
[*] 必ずしも辨別的ではない形態を敢へて採用する因習。國文法に言ふ未然形 (e.g., 取ら-ず、上げ-ず、來[こ]-ず) を見出し語にすれば、活用型が分かるものを。
[**] (5--7) のいづれにも該當しない例が相當數に上ぼる爲、「大よそ」に留めた。次掲 (i) はいづれも、ラ變動詞「-る」形が締める文に見られる特徴 (5--7) を缺いてゐる。
[***] この機能を持つ要素は、言語學において主格 (nominative case) と呼ばれる。次掲 (i: 太字部) がそれ。なほ、古代日本語の「-の」は基本的に先行名詞を連體修飾要素として機能させる。この機能を持つ要素は屬格 (genitive case) と呼ばれる。次掲 (ii: 太字部) がそれ。古代日本語の屬格としては、「-の」のほかに「-が」「-つ」「-な」も擧げられる。((iid) を打ってゐるさなかに、「みなと (港)」が「み-な-と (水-の-戸)」であることに今更氣附いた。)
[*!] 終止形から連體形への合流が進行し始めてからも兩者が音調 (=基本周波數 (fo) の上がり下がり。「はし」3種 (端/橋/箸) を區別する要素) を違へてゐたかは、勉強不足につき知らず。終止形と連體形とが元々は音調を違へてゐたことは、次の先行硏究から分かる。
https://bibdb.ninjal.ac.jp/SJL/view.php?h_id=0270690800
しご]た ちん]ちん そつぁ たん]たん。もろ]た ぜんな] そつい] かえ]て [に]かと かっ とっの] がそりん]に しもん]で '仕事はテキトー、酒はグビ〴〵。貰った錢は酒に替へて、新しいのを書く時のガソリンにします' 薩摩辯 [/]: 音高の上がり/下がり