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1. King Gnu - 泡 (コロナ禍と生きる目的)

このエッセイを始めようと思ったきっかけが、King Gnuの「泡」(あぶく)という曲です。この曲のミュージックビデオを見て、いつのまにか私は涙を流していました。まるで人魚の歌声に魂を奪われかけたかのように、この曲のことが頭から離れられなくなり、何度も何度も繰り返し聴きました。

King Gnuの「泡」(あぶく)のミュージックビデオはこちら↓

森山未來さんの演技とダンスは、主人公が抱える苦悩と愛を圧倒的な表現力で魅せています。そして、King Gnuの2人のボーカルの水の奥底へ誘うかのような神秘的な歌声が、心の底の悲しみを美しく描き出しています。

この曲のYouTubeのコメント欄を見ると、日本以外の国々の方もこの音楽に心打たれているのがわかります。どうしてこの曲がそんなにもたくさんの人々の心を打ったのかを考えたのですが、それはこの曲が私達人間が普遍的に持つ悲しみ「愛しいものへの愛とその喪失」について歌っているからだと思います。

私達が手に入れてきたものの中で、永遠のものなんて何一つありません。浮かんでは消える泡のように、一瞬のきらめきを追いかけているのに過ぎないのかもしれません。さらにこのコロナ禍の先が見えない世の中で、いったい何を追いかければ良いのか、私はよくわからなくなってきていました。

私の友人の1人が昔こんなことを言っていました。「このまま生きていて、楽しいことがたくさんあったとしても、それよりももっとたくさんの悲しいことがあったとしたら、私は生きていたくないと思っちゃうんですよね。」あの時はなんて悲観的な考え方をするんだろう、と私は思っていましたが、今になると彼女の気持ちが少しわかります。

悲しいことがたくさん起こると、明るい未来を描くのが少し難しくなり、そしてたとえ明るい未来を描くことができなくても、私達の人生は続いていきます。でも、この曲を聴いてから、このミュージックビデオを観てから、私にはある思いが生まれました。この苦しい世の中で、私達の苦しみや、悲しみや、愛を糧にこんなに美しい芸術が生まれるのなら、私達の人生は生きる価値があるのではないか、と。私がこんなに美しいものを生み出せないとしても、こんなに美しいものを生み出せるアーティストの方々をファンとしてサポートすることは、十分に生きる価値があることじゃないか、と。(アーティストはファンがいなければ、アーティスト活動を続けることは難しい訳ですし)

ということで、今回NoteでKing Gnuの「泡」に関するエッセイを書くことに決めました。私のこのエッセイが、果たしてKing Gnuのお役に立てているかどうかは謎ですが、コロナ禍の中でこの曲が私の心を強く動かして、素晴らしいアーティストをファンとしてサポートすることが、私の生きる目的の1つになったことは確かです。願わくは、この曲を紹介することが他の誰かの助けにもなりますように。


P.S. コロナ禍で様々なアーティストが苦境に陥っていますので、まだ余裕があるファンの方はできる範囲内で月額音楽サービスで曲を聴いたり、曲自体を買ったり、グッズを買ったりしてぜひぜひアーティストの活動をサポートしましょう☆

※こちらが月額音楽サービスSpotify(無料プランあり)のURLです♪
https://open.spotify.com/search/king%20gnu%E3%80%80%E6%B3%A1


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