青い海が見えるこの場所で
私が暮らす沖縄にはたくさんの岬(バンタ)がある。
私はそこから眺める景色が大好きだ。海はどこまでも広がっていて、空も青く澄んで、その中を泳ぐ雲はそれぞれが思い思いの形を作っては消えていく。
ふと、平和記念公園を訪れてみたくなった。南部に住むのはこれが初めてだったから、この地にいるからには、この地で何があったのかをもう一度きちんと胸に刻もうと思った。
18歳の修学旅行で訪れた場所。12年越しに訪れたその場所はすごく静かだった。
時折、遥か昔の私と同じように修学旅行で訪れた青年たちで賑やかになることもあったが、とてもとても静かで厳かな空気を感じた。
その空気の中に自分の成長というか、老いというか・・・なんとも言えない感覚を覚えながら、たくさんの資料に目を通した。
過去に起きた「事実」とそこで生まれた「あらゆる感情」を目にした私の胸の中にもたくさんの感情が生まれていることがわかった。
戦争や争いを目にすると誰しもが「悪」を突き詰めたくなる。一体「誰が」「何が」悪いのか、間違っているのか。
でも、それでは一向に争いは無くならない。正義が生まれ続ける限り、その反対に「悪」を産み続けることになるから。
起きてしまったことは変えることはできない。でも同じ過ちを起こさない「新しい選択」を未来に選ぶことはできる。
そのために「今」自分ができることはなんだろう。
そこで出てきた私の答えは「みんなが少しでも笑って過ごせる毎日を守るために、私がみんなにできることを一生懸命コツコツとやっていこう」ということだった。
雨の日の帰り道、運転中に見た景色があった。私はいつも「行き」で見る景色の「反対側」にいた。空の明るさと雨が、その道の全貌を見え難くしていた。「視界が狭くなるだけでこんなにも見え方って変わるんだなあ・・・まるで人の心みたい」と私は思った。
人生を歩んでいくといろんな「立場」に立って、いろんな物事に直面する。嬉しい出来事となることもあれば、悲しい出来事になることもある。でもそれは「その瞬間は」そうである、ということでしかなくて、実際はその瞬間「そうだ」と思い込んでいるだけのことの方が多い。だから、本当の答えは「わからない」ことだらけ。決めつける必要すらなくて「そうなのかもしれないね」としか言えないことの方がほとんどだ。
だからこれは”何色だ”と自分の「今」の立場で決めつけてしまうのは勿体なすぎる。でないと、物事の本質も見えなくなってしまうから。
あの日、あの時代の人は、私の大好きなこの沖縄の岬(バンタ)からの景色をどう見たんだろう。そう考えると私の目には、より一層今この目の前に広がる景色が美しく映った。それはこの景色をこうして見ていられる「今」が当たり前じゃないことを改めて知ったからだと思う。
そして、辛い過去を乗り越えてきてくれた人たちの上に立たせてもらっている私はとにかく幸せで笑っていようと思った。じゃなかったら失礼だよね。だって私たちが笑って生きていることは何よりもご先祖様たちの喜びだから。
Sachiko
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