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働くとは、自分が何を得たいかを考えること

ワケあって(って、そんな大したことではないが)ゆっくりの日々を送る・・・・・・はずが、確定申告やら副業やらでバタバタと過ごした3/13からの1週間だった。

ゆっくりの日々がスタートしたら、朝は通常通り6時に起きて夜は22時半に寝ようと思っていたのだ。私は夜が苦手なので、日付をまたぐ前に寝ていたい。夜は寝るモノ、と思っているので、23時は私にとって深夜である。

ところが、ゆっくりの日々がスタートしたら、就寝時間は24時を過ぎる毎日だった。前の方がずっと早く寝ていたってどういうことだ。

そんな中でも、自分がゆっくりの日々を過ごしたあと、どのように生きるか、それを考えねばならなかった。いつもは割と即断即決なのだが、今回はなぜか考えがまとまらず、考えようという気も起こらない。

それに加えて、かなりのイライラが募り始めた。副業が上手く行かないことにイライラ。家族の言動にイライラ。自分の不甲斐なさにイライラ。

イライラが高じて眠れないから、こうなったらとことん仕事をしようと決め、連日27時まで仕事をした。イライラしているから、どんどん仕事が進んだ。

で、今日。憑き物が落ちたかのように、落ち着いた。で、思った。

「よーし、春からもバリバリ働くぞ♪」

そんなわけで、4月からもがんばろう。

***

この先どうやって働いていこうか、ということを考えるとき、同時に、自分が何を得て、どのような生活を送りたいかを考えることになる。

わたしは元々物欲が薄めで、物がたくさんあるのが苦痛なタイプなのと、流行というものに疎いので、そこに対する欲はほとんどない。若い頃、イタリアでハイブランドの小物や靴を買ったが、特に感動はなかった。ハイブランドの良さがわからないなんて、と思われそうだが、たぶん私は何かしらのアンテナが欠けているのだ。感性がなさすぎて、自分でも驚くから。

ならば、何に対してお金を使いたいかな、どういう贅沢をしたいかと考えたとき、瞬時に思ったのが、食べ物だった。グルメなお店に行きたい、とかはむしろあまりなく、お金を使いたいのは「食材」。自分にとってちょっといい食材を購入し、調理をして食べるのが何よりもうれしいのだ。

道の駅とか大好きだし、漁港も大好きだし、定食屋も大好き。つまり、非日常の食ではなく、日常にありふれている「いつものご飯」がちょっとだけ豪華になること。それに私はとてつもない幸せを感じてきた。これぞ、THE 庶民。

でも料理人の家に生まれ、料理人に囲まれて育ったし、なかなか手に入らない食材をプロの料理人(母)に調理してもらったのを当たり前のように食べて育ったのだから、こうなるのは運命だったのでは?

の割に、私の調理の腕前はイマイチなのだけど。

そんなわけで、これからの時間は、「いつものご飯がちょっとだけ豪華になる贅沢を楽しめる」ことをマストとして、働いていきたいと思う。

ささやかだけど、私にとっては価値のある目標が見つかった。よかった。


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