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創作小説「長い髪」

時は2080年。私は家の窓から差し込む斜陽にゆっくりと視線を移して、目を細めた。静かな室内に落ちる微かな機械音に耳を澄ませる。遠いあの日、私は社会の在り方を決定的に変えてしまったんだ。ぎゅっと目をつぶり、深く念じた。これからの社会がよりよくなっていくことを、ただひたすらに。耳にかけていた白髪の長い髪がバラバラと崩れ、視界に入ってくる。私は震える手でその白髪を掻き揚げる。

「さて、と。」

重い腰を上げていつもの定位置についた。部屋の隅で自然光を受けて光る無機質なヘルメット状のそれを拾い上げ、深くかぶった。さっきよりも、ずっと強く機械音が耳元でこだまする。私の意識が、感覚的に確かな実感として歪められることなく、すうっと落ちていくのが分かる。落ちていく、落ちていく。知っているのに、知らないような、極めて曖昧な感覚で私は知らない何処かを浮遊している。

「私はまだきっと覚えている、あの頃の記憶を。」

遠い奥底で小さいけれど確固たる叫びが聞こえてくるような気がする。

忙しない毎日。雑踏を駆ける私の足は自然と早まった。時は2040年。33歳、独身の私は日々忙しなく生活を送っている。東京・渋谷の認知症患者を顧客とした不動産会社に勤める私は、空間デザイナーとして「認知症患者が過ごしやすく居心地の良い、空間設計を。」をモットーに数多くの仕事を掛け持ちしている。

「おはようございます。NEWSセブンです。まずは本日のトピックスから。少子高齢化社会が深刻化する昨今、認知症患者の急増に伴い、交通事故が多発しています。2024年の1.3倍である約950万人の患者数を抱えた国内では更なる増加が予想されるでしょう。国では新たな施策を本日付けで交付し…」

渋谷スクランブル交差点で信号待ちをしている私は大規模デジタル広告から流れてくるニュースキャスターのナレーションに意識を奪われた。そう、約30年前から叫ばれていた少子高齢化は国の政策を講じているにも関わらず、急速に進行している。

突然、大きな悲鳴が交差点の対岸から聞こえてきた。車の衝突だろうか。いや、違う。衝突した車の先で、白髪の老人が倒れているのが見える。またか、と思う。こうした光景は日常茶飯事で当初こそ驚き、衝撃に襲われ、恐ろしい世の中だと悲観したものだが、今ではよく見る日常風景の1つとして、ただそこにある。慣れによって、意識が変容した人々が生み出した「新常識」は、過去の現代人が想定していたよりもずっと酷なものだ。私の母も、認知症によって記憶の忘却が進行し、闘病中、劣悪な環境で、苦しい暮らしを余儀なくされた。そんな彼女を目の当たりにしていたからこそ、この私がこんな残酷な世の中に変革をもたらしたいと思うようになった。認知症患者の症状進行緩和を空間デザインによって、成し遂げるのである。

ふう、と溜息をついて、時計に目をやる。
午前9時50分。
急がなければと思う。足を早め会社へ向かった。

「沙耶、おはよう。新プロジェクトは上手い具合に進んでいるね。」

会社に到着後、同不動産会社にて部門は違えど期間限定のプロジェクトで共に仕事に励む、彩菜が開口一番、そう私に声を掛けた。彩菜はコンサルとオペレーションマネージャーを兼業しており、不動産会社では営業担当者として新サービスの売上に貢献している。

「そうね、順調。しっかりこのサービスを普及していくために、頑張らないとね。」

オフィスのデスクに荷物をおろしながら、そう返答した。ここ数年間、会社を掲げて、一大プロジェクトが進行している。先程起きた事故のように、認知症患者の徘徊によって事故が多数発生したり、生産人口の若年化によって高齢者の年金を賄うために生活が著しく困窮してしまうなど過酷な問題が山積みだ。そこで立ち上がったのが、「DPP (Dementia prevention Project)」。これは私の母校の卒業生4人で立ち上げた認知症患者の病状進行緩和を促す新システム開発部隊だ。開発したのは、「ヘルメット型記憶創発システム」である。これは、40年時点で若年層を中心に大流行中のある有名ゲーム会社が開発したヘルメット型没入ゲーム機器を転用/発展させる形で製造したもので、認知症患者のために、開発したプロダクトである。東条沙也、新島彩菜が勤務している不動産会社と新進気鋭のゲーム会社に所属する吉川零夜がコラボレーションする形で生まれたプロジェクトだ。私たちは認知症患者増加に伴う社会秩序の乱れに対し、共通の問題意識を抱いていた。近年、多くの医療業界やTECH界隈では、昨今のトレンドに応答する形で、忘却し行く記憶の創発を促すような新技術の開発を推進していた。マインドUIデザイナー、桜木千佳は居住施設自体に組み込む形で、人間がそこで体験したことを、温度や湿度、音声、匂い等を計測し記録する記憶創発システムを開発していた。競争が激化し、情報価値が急激に上がったのもここ数年の出来事だ。これは国も大勢力を上げて取り組んでいる施策の1つとなっており、政府の範疇を超えて、民間にも政府側が協力を仰いでいた。

そんな今日は、サービスローンチから3ヵ月経過し、お披露目会と題した記者会見が予定されている。大きな電話の音が社内に響き渡り、そこで初めて東条沙也はゴーグルをマナーモードにし忘れていたことにはっと気付いた。ここ数か月、新サービスのローンチによって眠れない日々を送っていた。それは開発メンバーの全員も同じだろう。ローンチ後、新技術は瞬く間に世間の注目の的となり、様々な論争が交わされた。商品単価が高額過ぎたが故に、『富裕層のみの購買促進が加速され、貧富の格差拡大に伴う、豊かさの拡大が見込まれるのではないか?』突き付けられた世間からのメッセージは私達がローンチ前に想定していた仮説事項の一部ではあったが、あまりにも反響が大きく私達は鳴り響く、批判や問い合わせが殺到する多数寄せられた社内チャットに疲弊していた。日常の何気ない動作や所作が自然と乱れていくことも、私をそう客観視させる一因となっている。
「もしもし?そろそろ5分前、そっちの準備は大丈夫?世間の反応もここ3か月間で大分大きな論争が巻き起こっているけれど、僕たちが目指す本質的な開発目的をありのままに伝えられるよう、まっすぐにそのままに訴えかけていこう。」
吉川零夜の突然の連絡に驚きながらも、心強くその言葉を受け止める。使用メディア媒体が、スマホからゴーグルへ。まだまだ普及には至らないものの、4D空間を疑似現実的に立ち上げ、仮想空間を創り上げる卓越した連絡手段のヘルメットは所在位置の距離の遠さに関係なく、私達を同じ空間に集約させ、同時間を演出する。
彩菜と沙也は2人して、ヘルメットを被り、仮想空間である記者会見会場へ意識を飛ばした。視界に見えるのは、数多くのメディア関係者に少数の野次馬たち。既にマインドUIデザイナーである、桜木千佳とゲーム会社の社長である、吉川零夜が席についていた。4人は互いに顔を見合わせ、視線を送り合いながら、一拍置いた。
「皆様、本日はお集まり頂きましてありがとうございます。既に多くの皆様から大反響を頂いております、ヘルメット型認知症患者の症状緩和防止システムにつきまして商品システム紹介及び、そこに込めた私達の目指す理想的な社会についてお話させて頂きます。」
新島彩菜は、大勢の聴衆を見渡しながら、マイクを握り力強く第一声を言い放った。
「まず、本製品のご説明を改めて行わせて頂きたいと考えております。開発した新システムは、居住地内に弊プロジェクトチームの技術開発担当者の佐野が開発した五感や感覚を刺激するシステムを埋蔵し、ヘルメット型ゲーム機器と連携させるものです。これは、サーモグラフィにより住宅内での動向を把握し、温度や湿度、音声などを記録する装置が居住者の1日を記録し、ヘルメットにリンクさせているものになります。就寝時にこのヘルメットを着用することで、1日の出来事を夢の中で再生することができる革新的なものです。」
一息置いて、次は東条沙也にマイクが渡され話が始まる。
「本商品は発売後に世論から大きな批判を浴びました。その背景に、豊かさの拡大による不平等性が根底にあると考えています。けれど、私たちが開発したシステムは、1人でも多くの認知症患者の病状進行を防ぐことにより、社会秩序の安定化を第一目標として開発されました。だからこそ、私達はこのシステムをローンチしたことに対して後悔はありません。私達はこれからも理想とする「認知症患者の徘徊が減少し社会秩序が保たれている、皆が平等に医療を受けられる社会」を実現するために、臆することなく、歩んで参ります。」

会場から、一斉に拍手が沸き起こった。これから私達はきっと数多くの認知症患者を救っていくことができる。なぜだか、確信に満ちた希望のような何かが私の心の底で沸き上がった。それは豊かさにおける格差助長を増幅させたとしても、これからのより良い社会実現のためにやっていく意味を成すものになり得るはずだ。きっと、大丈夫。私は安堵の想いから、長い黒髪を静かに掻き揚げた。

翌日、私達の記者会見の内容は、人々が連絡手段として用いるようになったゴーグルへ一斉に送信された。それを受けて、ゴーグルの中にある、民衆の談義の空間で様々な論争が繰り広げられる。それをメディアが取り上げて、また大々的にそれを放映する。論争は止まらない、止まらない。

そんなある日、嬉しい知らせが私達の元に舞い込んだ。政府から協力要請の依頼が舞い込んだのだ。これからの社会に役立つ素晴らしい施策だと取り組みの成果に対して絶賛された。止まらなかった論争は徐々に静まり、社会に受け入れられるものとなり、私たちの技術は浸透していった。

そして、時は経過し、2080年。
夕暮れ前。静かな午後の日に私はいつもの部屋にいて、遠くから流れてくる最新版の自然発生型ニュース配信サービスの機械音声に耳を澄ませていた。

「皆さんこんにちは、ニュースリーです。まずは嬉しいニュースから。2040年に開発されたヘルメット型記憶創発サービス「DPP」は今年で40周年を迎えました。2060年から開始した、DPPと病院連携サービスが認知症患者への支援を均等に行うことに成功したと公表し…」
電波の悪さからか、ニュース配信サービスの機械音が途中で途切れた。DPPの普及は良い効果のみを残したわけでなくて、実際の移動が不必要になったために身体能力の低下が問題視されている現状がある。加えて、自分で記憶しなくてもシステムが人間の記憶を担うがゆえに、根本的な人類の記憶力低下が深刻化している…。テクノロジーが生み出したジレンマはいつの時代も変わらないものだなあと背伸びをしながらぼんやりと思う。

私は家の窓から差し込む斜陽に視線を移して、目を細めた。静かな室内に落ちる微かな機械音に耳を澄ませる。耳にかけていた白髪の長い髪がバラバラと崩れ、視界に入ってくる。私は震える手でその白髪を掻き揚げる。
「さて、と。」
重い腰を上げていつもの定位置についた。部屋の隅で自然光を受けて光る無機質なヘルメット状のそれを拾い上げ、深くかぶった。さっきよりも、ずっと強く機械音が耳元でこだまする。私の意識が、感覚的に確かな実感として歪められることなく、すうっと落ちていくのが分かる。落ちていく、落ちていく。知っているのに、知らないような、極めて曖昧な感覚で私は知らない何処かを浮遊している。
「私はもう忘れてしまったかもしれない、あの頃の記憶を。」
小さな声で呟いた一言だけがその部屋の中で一番現実味を帯びたものとしてただその場に残っていた。


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