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小説「春枕」第四章〜世の中よ道こそなけれ(1)〜

初秋。
感情的に物思う季節。


ある晩、俺は夢を見た。
満開の桜の木が、きらきらと輝いていた。
思わず見惚れていると、桜がこう囁くのだった。

「順司さん、銀座、春枕へいらっしゃい」と何度も。

冗談じゃないが、俺は花を愛でるような柄じゃない。そんな繊細な感性は持ち合わせていない。しかし、その晩、夢に現れた桜はあまりにも美しくて、脳裏に焼き付いて離れなかった。

「銀座 春枕」のワードで検索したら、あるホームページに行き当たった。そして、この店に辿り着いたのだった。

🌸

「俺は若くして両親を亡くして、兄弟もいなくてね。その上、親戚とも疎遠で、この歳まで独り身できちまった。天涯孤独の身さ。

 若い頃はまだ良かったんだ。自分一人の力でどこまでも生きてやると思っていたよ。どんなことがあっても、歯を食いしばって耐えたものさ。それでもね、歳をとるごとに、酒を飲んでもやりきれなくなるんだ。

 あの威勢の良さは一体どこにいっちまったんだか。」

自分の話を他人にしたことなんてないのに、何故だろう。店主の女性、春花さんにすすめられるままに温かいお茶を飲むと、ポロリと弱音を吐いてしまった。


世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にぞ鹿ぞ鳴くなる

春花さんがそっと呟く。


「なんだい、それは。ひょっとしたら、和歌かい?」

「ええ。そうです。この歌は、あの有名な小倉百人一首にもとられているのですよ。わたしの好きな和歌でして。」

百人一首かー。

遠い昔、学生時代に国語の時間で勉強した気がするが、何にも覚えていない。

それにしても和歌が好きとは、なんとも風流な。思わず興味が湧いた。

「その歌はどういう意味なんだい。詳しく聞かせてくれるかな。」


「歌の意味は、この世の中に悲しみや苦しみから逃れる道などない。思い詰めて入った山奥でさえ、鹿が悲しそうに鳴いているのだから…といったところです。

 人の世で感じる悲しみや苦しみが辛くなって、誰もいないような場所に逃避した。そんな辺境ですら、鹿が悲しそうに鳴いている。

 生きとし生ける者誰しもが、生きる苦しみや悲しみからは逃れられない。それが宿命なのだろうと嘆いている歌です。」


「結局、人間はみんな一人だ。

 その歌のように、誰もが生きる苦しみからは逃れられない。そして、最終的には自分の問題は自分でケリをつけるしかない。だから人間は、みな孤独な生き物なんだ。

 生きるのが辛いなんて当たり前のことさ。そこでいちいち感情に振り回されていたら、やっていられない。

 俺は、そう思って生きてきた。」


俺は考え込んで、自分の手のひらを見つめた。

シミと傷跡だらけの手。悲しみや痛みを感じる暇なんてなく、一人で生きるためにがむしゃらに働いてきた。俺の手は、そういう手だ。

いや、悲しみや痛みを感じる暇がなかったんじゃない。生きる苦しみの連続の中、忙しく働くことで何も感じないようにしていただけだのかもしれない。


「そうですね。順司さんのおっしゃる通り、たしかに人間はみな孤独な生き物なのかもしれません。

でもね、自分の思いをしみじみ味わうことと、感情に振り回されることは、まったく意味が違います。

生きていく上で、悲しみや痛みを無視して見ないようにする。そんな風にするのは、わたしは違うと思うのです。」


いかにも可憐そうに見えた彼女は、意外にも俺の目をまっすぐ見て、キッパリと言った。

(つづく)

※この物語は、フィクションです。

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