小説「春枕」第七章〜冬ながら空より花の散りくるは(1)〜
冬。
じっと耐えて、春を待つ季節。
今年も冬将軍がやって来た。まるで心まで凍ってしまうかのような辛く厳しい寒さの中、行く場所もなく、僕•水原翔真は東京の街を彷徨っていた。
金が底をつき、もう何日も食事をとっていない。彼女に捨てられ、居候していた家を追い出された。僕にはもう、何にも残っていなかった。
あまりの空腹に耐えきれず、その場にしゃがみ込んでしまった僕を怪訝な目で一瞥して、人は通り過ぎてゆく。
そんな中、一人の女性が歩いてきた。凛としていて、とても美しい人だ。まるで「歩く姿は百合の花」だ。その美しい女性は僕に手を差しのべてこう言った。
「わたし、この近くでお店をやっているんです。もしよろしければ、うちで温まっていきませんか。」
🌸
「うちのお店は、ほんとうなら食事はお出ししていないのですが、わたしはお料理教室も営んでおりまして。ちょうど教室の帰りで、出来上がった料理を持って帰るところだったんです。ぜひ」
春花さんが出してくれた料理をかきこみ、満腹になった僕は、まるで心も満たされたようだった。
「実は僕は、小説家でして。と言っても、本は一冊も出していません。いくら応募しても、ことごとくダメで…。
長年付き合っていた同い年の彼女には、『もうすぐ三十になるのに、いつまでも夢を追いかけているあなたにはついていけない』と、フラれちゃいました。金もない、定職にもついていない、そんな男とは、結婚なんて考えられないと。まあ当然の話ですが。
それでも僕は、この期に及んでまだ諦められないんです。この不遇の時代が終わって、花が咲くことを夢見てしまうんです」
「冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ」
春花さんは、そっとつぶやいた。
「ああ、和歌か。むかし大学生の頃に学生短歌会に入っていましてね、ほんの少しだけかじっていましたよ」
「冬の真っ只中で、雪が降っている。詠み手である清原深養父は、雪を花と見ました。そして、花を降らせる空の向こうは春なのだろうか、と歌っています。
今の厳しい冬に負けることなく、彼は、未来のあたたかい春を夢見ているのです。辛い寒さの中でも、決して絶望していません。やがて来る春だけを見つめ、希望を抱いているのです。
まるで今の翔真さんのように。」
春花さんはなんて良いことを言ってくれるのだろうと、僕は素直に嬉しくなった。
(つづく)
※この物語は、フィクションです。
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