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あとがき(天使たちとの最終戦線)


さて、まず初めに天使たちとの最終戦線をお読み頂き誠にありがとう御座います。

この最終戦線は天使の戦線シリーズ第6作目にして文字通り最終作になります。

つまり、天使の戦線シリーズはこの作品で最後になります。

この作品は時系列ではミィディアが天使と別れた共同戦線後の日常戦線中又は日常戦線後を想定しています。

そして、戦線シリーズでは珍しくかなりリアリティのある内容となっていると思います。

何故私がこの6作目を執筆したのか。

理由は主に二つ。

一つが私と同じ毒親家庭の元で生きてきた人たちに少しでも希望を感じてほしくて書きました。

毒親育ちでも幸せになれるということを表現したくて。

とはいっても、これは一例に過ぎないですし、突飛な方策ばかりで参考にならない部分も多々あるとは思います。

私自身も書いていてそう思うことが良くありました。

しかし、それでもこの作品から何かヒントを得て、自身を取り巻く不条理を一つでも取り除く材料になればと思い筆を執るに至りました。

もう一つが普通親育ちの人々に実際の毒親育ちがどれだけの不条理を抱えて生きているのか実感してもらう為に書きました。

まぁ、といってもそもそも知る気もないし、知りたくもないし、構造として知ったとしてもどうもする気もないのが殆どでしょう。

で、私たちに何を求めているの?

こう思うでしょう。

普通親育ちの皆さんはそうした感情をよく覚えておいて下さい。

毒親育ちの人たちはそうしたあなたたちが今抱いた感情を抱きながら、皆さんと同じような生活を保とうとし続けてきました。

こうした条件であなたたちと同じ能力やパフォーマンスを世界から求められ続けてきました。

自分だったら。

少しはこうしたことを思う時間を作ってみると、世界が変わって見えるかもしれません。

この物語は最初、ミィディアが物心ついてから専門学校を卒業するまでに経験した出来事やその時に抱いた感情を出来るだけに正確に描いていきました。

最初は命を守る為に生まれた人格術。

この技術に付随する理念や考え方によってミィディアは奇跡のような偶然を必然的に呼ぶことが出来るようになります。

そうして様々な下地を作って社会という大海に出てミィディアは様々なことを知り、沢山の世界を目にすることになります。

そうしてミィディアは思い知ります。

天使たちの世界観で生きている限り、自分の周りには誰も寄ってこないと。

もし自分が、今の自分と同じ能力を持っていて、同じ考え方を持っている人を見たら(と相対したら)どう思うか。

きっと天才、最強と思うことは有れど、仲良くなりたいとはどうしても思わない。

何でもできる。

俺一人なら、何とかなる。

しかし同時に、俺一人で何とかなってどうする?

俺一人だけが出来ても意味があるのか?

自分が出来ることを他人には出来ないから仕方ないというのか?

みんな倒れて、みんな出来なくて、俺だけがその景色を見ていて、俺はどうすればいい?

天使たちから教わった技術があまりにも圧倒的過ぎて、人間世界で生きていくのに天使たちの世界観のままでは絶対に分かり合えない。

他者の気持ちに寄り添うことは絶対にできない。

他の人が出来ないと言っていても俺の中にはビランチが言っていたあれを使えば・・・フェアの言っていたこれでいけば・・・と解決策がちらつく。

そして、それを見せつけられる度に周囲は嫌悪を抱く。

全員が聖人君子なら、出来る人なら成り立つまさに理想のスタンス。

けど世界は本当に様々な人たちがいる。

一人で見る世界はいつも静か。

それが分かったミィディアは人格術が初めて邪魔な存在になります。

同時にそうした天才で有れるのは結局は天使たちの威光のお陰だと理解します。

ある意味天使たちに踊らされているのだと、自分が天使になったかのように思い上がり、その威光を借りているだけの存在にすぎないのだと。

それが分かった時ミィディアは人格術を最終的には使わない未来を想像し始めたのです。

これを機にミィディアは人格術を積極的に遠ざけ、いくら人格術で解決できる問題でも現実的な手順を踏んで解決することを意識し行動していきます。

井の中の蛙大海を知らず。

これは自身の狭い知識に囚われて物事の大局的な判断が出来ないことを意味することわざになります。

しかし、現代の大海はとても広いです。

そしてこの大海は一匹の蛙では認識することすら不可能に近いほど大きいです。

しかし、そもそもとしてこの蛙は生きるのに大海の広さを知る必要があるのでしょうか?

恐らく必要ないと私は考えています。

ミィディアは大海という社会の一端を知ったうえで井の中に落ち着きました。

人格術ありきの大海と人格術を必要としない井の中。

ミィディアは選んだのです。

井の中で余生を過ごすことを。

大海で沢山の勝負をすることをミィディアは選びませんでした。

理由は簡単。

つまらないから。

それに大海の全てを知ったところでどうするか考えた時、おそらく知っても知らなくても変わらないことをするだろうとミィディアは思ったのです。

自分の幸せは井の中にある。

ミィディアはそう思い、大海に触れたうえで井の中に戻ったのです。

最後に、天使の戦線シリーズを最後まで読んでくださった皆様へ。

この作品が少しでも皆様の糧となりますように。

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