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本来の察するとは



“これくらい察してよ~~。”

これは良く、自称察しが良い連中が口にする言葉なのだが、私はこの言葉に対して非常に腹立たしく感じる。

まず、お前は本当の意味で察するという行為を理解しているのか?と問いたい。

察するとは本来、初対面や1回2回あった程度では使わない言葉である。

何故なら察するとはある程度お互いのことを知ったうえで、つまり、ある程度お互いの感情や思考を推察できる状態になって初めて成立する行為だからである。

それを自称連中は初対面でこれを要求してくる。

まあ、ある程度会話すればたとえ初対面だろうが察することが出来ることは認めてやろう。

しかし、それが出来るというのにされないというのはいったいどういうことなのか。


その理由をこの私が説明してやろう。


理由はただ一つ。お前たちがそれをするに値しない人間とみられているからだ。


ここまで言えば察しの良い自称連中なら分かるだろう。


自分自身が相手に必要とされていないということが。

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