私の感覚って?
ここ数年で少しずつ自分のことが、ようやく分かり始めた気がする。
私の絵は個性的で水彩画教室の先生から、私にはできない色使いだわとよく言われる。
ちょうど写真に載せた色とりどりのケーキの様にカラフル。
本人は感覚で描いているので、この色とこの色を対比させたら絵が引き立つとか、影の書き方とか全く分からない。
それでも不思議に癒さるらしい。色々な色を使ってる割には、ごちゃごちゃしてない、楽しい絵と言われる。
本当にありがたい。だから絵は個性的なのだ思っている。
しかし文章までとは思わなかった。
ここ2年間で物語や自分のことを書く機会が増えてきて分かったことは、文章も個性的らしい。
独特の世界だよねとか、個性的、私の世界観があると皆さんに言ってもらえることは、とても嬉しい限りだ。
そんな中、3年ぐらい前にSEKAINOOWARIがhabitという曲を出して大ヒットした。
ラップがかっこよく、ダンスも独特な振り付けで楽しい曲である。しかし歌詞が結構辛辣である。
私はそのギャップが好きである。
歌詞に注目して聞いていて分かったことは、私は中学生の時に既にこの感覚があった。
君たちたったらなんでもかんでも
分類区別ジャンル分けしたがる
習性があるとかないとか
‥君らは分類しないとどうにも落ち着かない
‥つまりそれはシンプルじゃない
‥俺たちもっと複雑で曖昧で繊細で不明瞭なナニカ
‥君に君を分類する能力なんてない
この歌詞にとても共感した。ずっと自分の中でもモヤモヤしたものをすっきりさせてくれた。
でもこの考え方は既に中学生の頃からあった。よく区別分類したがる人を見て、どんな基準で何の為にそんなことするのか?それって自分基準だよね?と思っていた。
こんな明確に言葉にすることができなかったので、この曲と出会って気持ちがスッキリした。
心が今までどんより雲空だったのが、雲ひとつない晴天に変わった。
そこで気づいたのは、私の感覚が個性的で新しかったことだ。振り返ると母も友人も個性的だった。周りの環境が斬新だったのだ。
そのことに気づくのが遅れたのは、母の感性がもっと斬新だったからだ。私の100倍ぐらい。
母は学生の頃から小説家を目指していたが、あるとあるゆうコンテストにかたぱっしから落ちたと言っていた。だから自分には才能がないと悟り、小説家になる夢をすっぱり諦めて、公務員になった。
母はよく私にお母さんは才能がなかったみたいよと言っていた。
手前味噌になってしまうが、事実は逆なのでは?と思っている。
画家が亡くなってから、絵の価値が分かるようになるのと一緒。
母は生まれてくる時代が早すぎたのだ。昭和ではなく、令和の時代に生まれていれば、母の小説が理解されたかも知れない。
子供の頃は自分と母は全然タイプの人間だと思っていたが、年齢を重ねるうちに確実に母のDNAが自分に引き継がれていることを実感している。
この不思議な感覚を大切にして、これからも色々な物語を書いていこうと思う。