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今まで「ただいま」って帰っていた場所が今は「またね」になること。

タイトルを書き終わり「それって独立した子どものセリフやん」と不思議な気持ちになった。


私は4年前に離婚しているので、家を出ている。当時長女は結婚し家を出ていて、長男・次男・三男はそのまま父と暮らすことを決めた。


当時中学2の三男、高校3の次男食事のことがとても不安だったので、離婚後も同居をお願いした。元夫も渋々受け入れた。

そんなおかしな生活も3ヶ月が過ぎる頃、「(パートナー博揮との関係があるのに)一緒に住むのは居心地が悪い。そういう人がいるなら、そこへ行ってくれ」と元夫に伝えられた。

彼はわたしの書いているnoteの記事を読んでいたからだ。隠してもいなかったが、実際はまだ博揮は私を受け入れてはいないので、元夫の想像とは違っていた。しかし、離婚を望んだのは私であり、彼が複雑な気持ちを抱えて暮らすのも、その状況で子どもたちと幸せに暮らすことはできないと思い、その日家を出た。


子どもたちが独立する日まで、この宙ぶらりんな生活をしようと決めていたので、あまりにも突然の出来事に私自身の気持ちも追いつかず、子どもたちにも申し訳なかった。でも一方で、きっとこれも何かしらの良き兆候でしかないと、自分の行為を許している私もいた。


そんなこんなでバタバタと家を出た私。

なんの準備もなく出たので、その後数度に分けて荷物を取りに行ったり、娘夫婦が2人目の出産を機に父と同居することになり実家住まいに。私は孫の世話をするために度々家に戻った。


あれから4年。

いつの間にか慣れ親しんだ家も私のものは無く、子どもたちの成長による変化もあり、なんだか他所の家にお邪魔している感覚も芽生えてきた。


今日も娘との約束があり、元家に行った。(もう戻るという感覚はない)

私のサイズで作ったキッチンは作業がスムーズに行えるのに、調理器具や食器、調味料の位置にいちいち戸惑う。


もちろん帰る時は子ども、孫たちに「じゃ、またねー!」と扉を閉める。


そして今博揮と住むこの家に戻ったら、何とも言えない安堵感があった。


車中博揮が「あそこはあっこの家だった。本来は子どもたちとたくさん話して、美味しい料理をふるまって、楽しそうに過ごしているはずだったのに。なんだか切ない」と。


何言ってるんだか。

私が家を出た時は、全く受け入れる気がなかったのに!とケラケラ笑っていたら、「今はもう違うんよ」って。


でもさ、博揮のせいで別れたわけじゃないやん。

博揮はいつのまにか家の子どもたちととっても仲良くなったから、子どもたちの気持ち(特に末っ子)を考えると、切ないんだね。


うん、そうかもしれない。


ありがとう、博揮。私は昔っから家族のかたちにこだわらない生き方を望んでいたことを思い出したよ。


罪悪感などない。

むしろ離婚し、より大切なものが何か明確になったし、大切なものがいっぱいある。幸せよ。だから、


「またね」


そんな場所が増えていくといいな。

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