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「子育"ち"」を邪魔しない大人になりたい

「子育て」の主体は?

突然ですが、一般的に"子育て"という言葉、私個人としてはあまり使いたくない表現なんです。
もちろんその子の親や大人からしたらそういう表現なのはわかるんですが、主体が"子供じゃない側"の表現なのが、なんかこうむず痒いというかしっくりこないというか。。
あと、"子育て"という言葉に隠れている部分があって、きっとそれは『立派な大人』に子を育てる、そういう言い回しだと思うんです。

"好きこそ物の上手なれ"

私は普段子供と触れ合う機会が多い環境に現状いるんですが(職業は明記しませんが)、一緒にいるとお子さんの成長の早さ、集中力の深さとそこから得る経験の密度、あらゆる面において私を含めた私の知る大人たちより優れているんです、どう考えても。
大人から見て無駄に思えるような行動一つ一つ(何度もモノを落としたりティッシュを引っ張り出すを繰り返す思考実験、これは何度試みても確からしい現象なのかをつぶさに観察しています)、これを邪魔しないことで勝手に好きなこと(文字や分野)を覚えたり行動に移したり、知識量も底なしか!と思えるくらいスラスラと記憶していきます。
"好きこそ物の上手なれ"とはよく言ったものだなと思います。

家業を継ぐなら”子育て”かも。

一昔前、あるいは現代においても家業を継がせるなら、"子育て"という表現はしっくりきます。それは、大人が小さい頃からそう育てないと家業を継げない、いわゆる伝統的なものですね、それは子が主体ではなく"親や周りの大人が育てる”ものだと思うからです。
でも、それ以外の家庭の場合、われわれ一般的な大人"ごとき"がその素晴らしいポテンシャルを持っている子供たちを"立派に育てる"ことなんて果たしてできるのでしょうか?(反語表現)

多くの場合、"子育ち"にシフトしていい時代なのでは・・・?

子供が"勝手に育つことを邪魔しない努力"をすることが、周りの大人ができる最大の支援ではなかろうか、と私は数年前から考えるようになりました。なぜなら、

  1. 業種が多種多様にわたる現代において、子供がどんな職業に就くか予想できない

  2. AIの進歩が加速し、職種が淘汰されるかもしれないこれからを生きる子供にとって、もはやこれまでの大人の常識(この職業が安定しているよ、などのノウハウや知識)が足を引っ張ることになりかねない

  3. 家業を継ぐ子なら親の背中を見て育つ、というのも良いでしょうが、子供がいずれ親離れをするにあたって、世間の大人に憧れを持ち自らの親を反面教師にするのは当たり前の成長なので、親の思い通りに子供が育たなくても”子育ての失敗”ではなく、むしろ成功なのではないでしょうか。(私は私でやりたいように生きて、お子さんにやってもらいたいことは自分が率先してやる姿を見せる努力をして、結果として楽しそうに生きているけどダメダメなとこもたくさんある大人だなぁ笑 と子供達にはぜひ私を見て反面教師にしてもらおうと思っています。)

大人にできること

大人にできることって、なんなんですかね。
衣食住を不足させないようにすること。
あとは危険でない限りは手を出さず見守ること。
やりたいといったことをできるだけ妨げないこと。
やめたくなったら理由を聞いて、いつでもやめることを認めてあげられること。(長く継続すること"だけ"で良しとしたり、親や大人が決めた目標地点に到達するまで途中で辞めさせないケースがあります。その子にとって嫌なこと、無価値なことを継続させることほど残酷なことはないです。)

私の中ではこんな感じでしょうか。みなさんはどうですか?

大人の想像を超えてくれたら本望

なので、たかだか数十年生きただけの大人たちが"立派な大人像"なんかを子供を押し付けて、そう育つように仕立てて、頭ごなしに言うことを聞かせるのではなく、大人の遥か想像を超えた"お子さん自身の持つ力"で成長を見届けたい、と言うのが今の私の望みです。
大人主体で"子育て"をするのではなく、子供主体の"子育ち"を見守る大人、という構図がもう少し一般的であってもいいのにと、そんなふうに思います。


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