思い当たる
杉並区の上井草スポーツセンターの裏を南北に通る道路は、北から南へ向かうとゆるやかな下り坂で、上井草給水場の交差点まで長い下りが続く。対面2車線で決して広くはないが、ガードレールと植え込みでしっかり分離された歩道が付いている見通しのいい道路なので、ついついアクセルを踏み込みがちだ。私に限らずほとんどの車がそうだと思う。
でもその日は違った。特に理由がある訳ではなかったが、何故かスピードを上げる気にならず、ゆっくりと坂を下っていた。すると前方に子ども乗せの荷台を付けた、いわゆるママチャリが植え込みの切れ間から車道に出てくるとフラフラと危なっかしく揺れて、ガシャンと私の車の前で横倒しになった。
前述の通り私はゆっくりと走っていたので、ブレーキを踏んで普通に止まった。前後に車はなく、私は左に寄せて停車すると車を降り、大丈夫ですか？と声を掛けた。30代くらいと思われる女性は既に自転車を起こしかけていて、すみません、大丈夫です、とどこか恥ずかしそうに伏し目がちに答えた。転倒時の様子はどちらかというと立ちゴケに近く、大した怪我をしているとは思えなかったので、私はそのまま車に戻るとゆっくりと女性を追い越していった。
ずいぶん走ってから不意に、あの女性は当たり屋だったのでは、と思い当たった。見通しのよいスピードの乗る直線道路、植え込みの死角から車の前へ飛び出すタイミング、どれをとっても考え抜いた故意としか思えなかった。ただものすごく下手だっただけだ。もちろんプロの当たり屋ではない。やむにやまれぬ事情があってとりあえずやってみた、みたいな途方に暮れた感じがあった。
本当のところは分からないし、確かめようもない。なんとなく希望が持てるのは彼女が見せた、どこか恥ずかしそうな表情だ。あれはなにもかもどうでもよくなった自暴自棄の顔ではなかったと思う。ただ、ごく普通の身なりの女性をそこまで追い詰めた背景は何か、あの女性がその後どうなったのかは今でも気になっている。
ー了ー
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