やとこ鍋

 数年前に法事で実家に帰省した際、親に頼まれて大量のそうめんをゆでた。実家の鍋は「やとこ鍋」と呼ばれるアルミ製の雪平鍋で、取っ手がなくヤットコのような鍋つかみでつかむ。小さなものから大きなものまで5種類ほどが重ねてしまえるので重宝している。

 姉家族も含め10名を越える人数のそうめんをゆでるために、一番大きな直径が30cmを越える鍋を取り出し、なんとかそうめんをゆで上げ、さあ片付けという時にそれは起きた。

 前述の通り、この鍋は重ねて収納するため仕舞う前によく乾かす必要があった。なので洗い終わった鍋を再びガスレンジにかけて空焚きしていたのだが、当時5歳の子どもが台所に入ってきて水を飲みたいと言うので、冷蔵庫から麦茶を出してコップに入れてあげたが、麦茶は苦いから水にしてくれと言われ、冷凍庫から氷を出して水に入れてやり、そんなこんなをしているうちに、うっかり鍋のことを忘れ空焚きのまま放置してしまった。

 気づいた時には底が赤黒くなるほど鍋が焼けていて「いかんいかん!」と慌ててガスレンジの火を止め、ヤットコで鍋をつかんだ。その時、子どもが「イカンイカン」と私の口真似をして、手にしたコップの水を鍋の中に放り込んだ。

 「チュン!チュン!チュン!」とまるで銃弾を発射したような甲高い音がして、鍋の中の水が一瞬にして沸騰し、鍋を持つ手が見えなくなるほど無数の熱湯の粒となって乱反射して飛び散り、ヤットコを持つ私の手にも容赦なく降り注いだ。

 自分でも意外だったが、その時私は微動だにしなかった。確かに下手に動けば子どもに掛かったかも知れないし、ヤットコを離せば鍋が下に落ちて大惨事になったかも知れない。しかし、その時私を支配していたのは、驚くほど冷淡な自暴自棄の感情だった。動けなかったのではなく、このままどうなってもいい、火傷しようがどうなろうが構わないと考えていた。

 不思議なことに、私はやけど一つしなかった。手に掛かった水の粒は熱かったが、粒があまり細かいとほんの数十センチの距離でも、やけどしない程度には冷めるらしい。

 その時、私は微笑んでいたと思う。

                            ー了ー






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