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「まだ言ってない事」は「まだ伝わってない事」だと思うようにする

もうとっくに伝わっているような気でいるけど、実は
「言わなきゃ伝わらない事」「言ってないから伝わってない事」
というのは、各々の胸の中に、
たぶん本人が思っている以上に、
たくさんある気がする。

が、そもそも、
「胸の中にある事」全部を
人に伝えるなんて、誰にとっても不可能だ。

と、なると、
「わかってない」「わかってもらえていない」
そっちこそがスタート地点で、且つ
人と人との間の基本態勢なんだろう。

そして、自分もまた、そのことを忘れがちであるからして、
(相手はともかく、自分自身では)
このことを重々踏まえておかんとなあ、と、ふと思ったのである。

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もちろん、
「この人は言わなくても解ってくれる」という人は存在する。
が、それ以外の人々、――つまり
改めてそのように感じさせることのない人々については、
「それでも解ってくれている」ということはあまりない気がする。
つまり大体が、
「言われてないことまでは解っていない」人々である。
(……って、これは
考えてみるとそりゃあそうですよね?というところなのであるが。)
(で、自分も概ね「解ってはいない」人の側にいることが多いと思うしね。笑)

かと言って、言葉にされていないその人の胸の内の声まで、
耳を澄まして一言も聞き漏らさないように!なんてしていると、
その作業って結構エネルギーが消耗もするし、
更には、
今度はこちらのほうが「過敏」になってしまって、
「……聞こえないはずの心の声まで聞こえてくる!?」
みたいな疑心暗鬼状態にそのうちなりそうで、
そうなったらそうなったでまた厄介であるし……。

だからこそ互いに、人と人とは
「相手もこちらを」「こちらも相手を」
今のところ解っていないはずなんだよな?
と、とりあえずまず、あらかじめ心しておくことが、
肝要な気が私はするのである。

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ここまでを一言でまとめてしまえば。

それはつまり、
お互いに
「迂闊に相手の心中を、
自分が解っているような気にならない」
「迂闊に自分の心中が、
相手に伝わっているに決まっている、と思い込まない」
ということなのであろう。

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そして
我々は誰もが
他人の痛みをまったく同じように
自分では感じることはできない。

(と、いう、そんな意味において、)
我々は誰もが「鈍感」とも言えると思う。

――これは自戒と、
あとは「人とは元々そんなものだよ」という気持ち、
相反するその両方とも
をこめて。


(うむ、おまけの余談だが。
いっつも、ついつい一記事に詰め込み過ぎて、もっと長い文章になってしまいがちなのだけど。
自分の、noteでのこういった方向の記事については、今回くらいの長さ(今回は1000字ちょっと)が、やっぱり理想的な気がするなあ……。笑)



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