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「答え」がないのに「計算」しても仕方ない
数学の問題とは違うわけなので。
人生に、「答え」は、
そもそも決まっていない。
(あるいは、
「自分で勝手に決めつけているだけ」だ。)
なので、
どんなにきっちりと
「計算通り」に動いたところで、
決まった答えに
必ず辿り着くというものでもまたない。
で、それを踏まえたなら。
まずは、そういう
「予測不可能な現実」を、
楽しもうかと思うのだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1674877178868-GF9FL1nED0.jpg?width=800)
何度読んでも、観ても、
つまり
予め「あらすじ」を知っていても、
面白い作品は、確かにある。
しかし私は、
同じ作品なら、
「あらすじ」を知らない状態の
「初見」のそれが、
やはり一番面白く感じられることが多い。
「通常通り」の「明日」が
来ることすら、
実は保証もないし、
ある意味、毎日が「賭け」なのだ。
そう考えると尚更、
「昨日と同じような今日」ですら、
「初見」の「今日」なのだと思えて仕方ない。
(そして、
「まったく同じ日」というのも
二度来ることは、実はない。)
(だから
どんなに凡庸に見える「今日」だって、
すべて「初見」のはずなのだ。)
![](https://assets.st-note.com/img/1674877240110-fZtf9FY8Pe.jpg?width=800)
冒頭に戻るが、
数学の問題ではないので。
――「計算」ではなく。
ただただ「気持ち」で、
それの「赴くまま」に、
これからは動いてみようかと思っている。
(「気持ち」が入らなければ
「何事も、本当の意味では動きはしない」
とすら、
私はこの頃感じている。)
――「答え」つまり
「期待通り」「予測通り」を、
求めるためではなく。
だから、その結果は、
天に任せてみようかと思っている。
そして、その代わりに。
何が来ても、
「私なりに」、つまり「勝手に」、
面白がらせてもらうつもりである。
![](https://assets.st-note.com/img/1674877300883-HtKQpGqAyX.jpg?width=800)
以上、本日は特に※個人の「極論」でした。(笑)