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「答え」がないのに「計算」しても仕方ない

数学の問題とは違うわけなので。

人生に、「答え」は、
そもそも決まっていない。
(あるいは、
「自分で勝手に決めつけているだけ」だ。)

なので、
どんなにきっちりと
「計算通り」に動いたところで、
決まった答えに
必ず辿り着くというものでもまたない。


で、それを踏まえたなら。

まずは、そういう
「予測不可能な現実」を、
楽しもうかと思うのだ。


何度読んでも、観ても、
つまり
予め「あらすじ」を知っていても、
面白い作品は、確かにある。

しかし私は、
同じ作品なら、
「あらすじ」を知らない状態の
「初見」のそれが、
やはり一番面白く感じられることが多い。


「通常通り」の「明日」が
来ることすら、
実は保証もないし、
ある意味、毎日が「賭け」なのだ。

そう考えると尚更、
「昨日と同じような今日」ですら、
「初見」の「今日」なのだと思えて仕方ない。
(そして、
「まったく同じ日」というのも
二度来ることは、実はない。)
(だから
どんなに凡庸に見える「今日」だって、
すべて「初見」のはずなのだ。)



冒頭に戻るが、
数学の問題ではないので。


――「計算」ではなく。

ただただ「気持ち」で、
それの「赴くまま」に、
これからは動いてみようかと思っている。

(「気持ち」が入らなければ
「何事も、本当の意味では動きはしない」
とすら、
私はこの頃感じている。)


――「答え」つまり
「期待通り」「予測通り」を、
求めるためではなく。

だから、その結果は、
天に任せてみようかと思っている。


そして、その代わりに。

何が来ても、
「私なりに」、つまり「勝手に」、
面白がらせてもらうつもりである。



以上、本日は特に※個人の「極論」でした。(笑)

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