その「目先の利益」は本当に利益か
無論、
「明日喰うものに困っている」ならば、
話は別であるが。
そうでもないのに、
どうしてこう、人というものは
「目先の利益」に
飛びつくものなのだろう、と。
まず、
湯川れい子氏のこのツイートから。
今の東京の開発の様子って
まるで
「一瞬たりとも損したくない」
と血眼になって、
「我先に」と、
競争しているような感じで。
そのスピード感とやらの「貧しさ」よ。
薄っペラい。
長い時間をかけてそこに築き上げた
(それでしかそこに宿らない)
「魂」「情緒」みたいなものを、
一切、省みることもない。
土足で踏みつけにして、
一瞬にして、
「ペラペラの、軽量の時間」に変えていく。
「時の層」を、台無しにしていく。
ホント、
「ピッカピカ☆ツンツルテン」の
「刹那的な」開発ばかりで。
人が暮らす土地というものは
本来
「時間の層」の積み重ねがあって、
それがどこか
「安らぎ」言うなれば
そこでの「生きやすさ」に
なっていたりもするものなのだけど。
そこに重なりあう
その「時間の層」を、
なし崩し的に、
容赦なく、
破壊していくんだよなあ。
――そんな
「取り返しのつかぬことを」
平気な顔して、
やってくれちゃうんだよなあ。
「おんなじような人口建造物」を
狭い都心に乱立させて。
「新しければそれにこしたことはない」?
「古くなったらそれは捨てて
別の場所にすぐ買い換えたらいい」?
って、
「100円ショップ感覚」
「安物買い感覚」で、
街を作り替えていってしまう。
「もう二度とそこに作り出せない」ものすら、
無残にも、無神経にも、
踏み倒しながら。
これもまた
「お金でしかすべての価値を測れない」感覚というか、
そんな「貧しさ」を感じる。
一言で言えば、どんどん
「貧相な」街になっていく。
(この件とはまったく関係ないものなのだが、)
そういえば、
妙に共感するツイートもあった。
これ、すごーーーーーく、言い得ていると思う。
今の世の中の、所謂「偉い立場の人」って、何というか、おそろしく「面の皮が厚い」人が多いし、あと、「人としての『平均的な』感覚」みたいなものすらない人が、多いのではないかと思う。
「口先ばっかり」で「嘘」をいくらでも並べても、良心の呵責に苛まれることなく、全く平気な人も多いみたいだし。
本来なら人として多少でも胸が痛みそうなことにもまったく痛みを感じない、「感性が皆無」な人が多いみたいだし。
なるほど、「THE 無神経」な人間が、寄ってたかってゾロゾロと我々の上に立つと、こういう世の中が出来上がっていくのか。
――と、ここ数年の社会を(主に政治越しに見ていていると特に)思う。
そうなのである、それでも多くの市井の人々にはまだ、まともな、少なくとも「人並みの」、神経も感性も情緒も、残っているとは思うのである。
――「今なら、まだ」、である。
でも、こんな世の中に放り出されたら、きっと、それらはいずれ、多くの人々から失われていく。
そうならないと、至極「生きにくい」からである。
――するとますます、神経も感性も情緒もない、「ピカピカ☆ツンツルテン」な世界の造成に、更に拍車がかかっていくだろう。
我々「一般大衆の感覚」は、もしかすると、「最後の砦」なのかもしれない。
それさえ失われたら、その時、(あえて大袈裟な言葉を選ぶけど、)「この世界は終わる」と、私は思っている。
うん、まあ、ねえ。
「そんな世界を捨てて、どこか別の場所へ」
というのも、一つの手ではあるのだけど。
でも、ただただ、私は。
特に今回のこれは
「知らない場所の話」ではないから。
こんなのって、
「胸が痛む」のである。
「何も言わずにはいられなかった」のである。
――ただただ、私はいまだ、
「人間」なのだろうと思う。
「明日喰うものに困っている」わけではないので。
「目先のお金」より、
「人の気持ち」のほうが、
私には大事に思える、
ただただ、それだけのことなのである。
〈追記〉
今回の「神宮外苑再開発」について、こちらの記事が、その概要がわかりやすいかと思いますので、リンクを貼っておきます。
以下に一部抜粋した部分は、すべて、この記事からのものです。