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人生の「目的」は人それぞれだから

人生の目的。

至極、端的に言って。
たとえば、「自分が持っている欲を満たそうとする」ということになるのか?
(ねえ、言い方!笑)
(いや、でも、すご~く大雑把に、「わかりやす~く」言うと、そういうことになりません?)

「金銭欲」「物欲」
「名声欲」「自己顕示欲」
「性欲」「食欲」
……等々。
(もちろんまだまだいろいろある。)
(「欲」って本当に人によって多種多様、千差万別だと思うから、とてもじゃないがその全ての種類は挙げきれませんが!)


うむ。

自分も歳をとって、精神力とか気力とかが落ちたたのか。
少なくとも上記に挙げたような「欲の中でも多くに支持(?)される、代表的で且つシンプルな欲」は、「具体的すぎて」あるいは「生々しすぎて」、ちょっと本気では、抱え続け、追い続けるのは、しんどくなってきた。

――う~ん、つい最近までは、その「しんどさ」に気づかないくらい、気力や精神力の在庫がまだ、あったのでしょうかねえ~??(わからんけど。)


ま、先に挙げた「代表的な欲」については、「夢」とか「希望」とか、そういう「ふんわ~り」した形で、「血眼」にならないその程度の軽さでなら、今後もふわふわと(笑)追いかけてみようかな?とは思っていますけれども。


ま、しかし、(これもよく言われることだが、)最期には全部、「置いて逝かねばならない」――つまり「あの世にまでは持っていけない」ものばかりかもしれないですよねえ。
ここらへん、「欲」から手に入れたものって。

(「それを得たままで」本人がこの世から去っても、「この世にもその価値がそのまま残るもの」って、たとえば何だろうか?)

――さて。

では、自分が今、本気で満たそうとしている「欲」は、何かあるだろうか??

まずは。
「睡眠欲」。
(え?)
(いやいや、大事でしょう!これは!!!笑)

あとは、
「健康欲」。
(って、こういう言い方、あんまり聞かないですけど。笑)

この二つかなあ。

この二つは、真剣に追いかけていくよ!!!
(いや、ホントに!笑)

更にもう一つ加えるなら、「上機嫌欲」、かなあ。
(また「造語」してしまった。)

――「良い空気」を、自分と、自分の周りに、循環させる人間でありたいなあ。

そして、「上機嫌欲」を自分で満たせれば、さすれば自然と、「人には親切に」なんて気も湧き上がってくるもの。
――その中身が何だとしても、まず何かしら「良い方向性のエネルギー」が、これまでなかった所から湧き上がってくるのだったら、これほど目出度い(無論これは「自分にとって」である)ことはないと思う。

「人に親切に」というところの良いエネルギーに満ちれば、これまた、自分自身の機嫌や気分が「更に」良くなる。
――うむうむ。これはなかなか、よき「循環」ができそうではないか。


それにしても。

「健康」「睡眠」「上機嫌」。
おお!見事に、この三つは、繋がったんじゃない?
全部がちゃんと相互に作用するものだし。

そして、これまでの経験上、ここらへんを蔑ろにすると、ロクな結果になりません!!
(本当です!!笑)


叶わぬことに対して、あまりにも、自分の手に負えぬほどまで、「欲」を強く大きくし過ぎると。

それをいずれ持て余し、満たされぬそれが「不満」に変化したりもする。

で。
「不満がつのる」と、そのうち、人や、あるいは世の中全体を、「呪う」ようにもなる(場合もある)。

――いかん!これはいかんぞ!(もっと恐れるべきことだぞ!)


「呪うことなかれ。」
と、やはり思うのだ。
(どんな理由や事情があるにせよ、である。)
(難しいことかもしれないけれど。)

(だから「呪ってしまう」くらいなら、その相手を「人間だと思わないで対処」でいいのだと思う。
――という、これは、ここ数日の記事の流れでもある。笑)

「人を呪わば穴二つ」というのは、本当に、その通りだと思うし。

昔むかし、(「薄っすら」「心のどこかで」程度だとしても、)誰かを呪ったそのことが、時間を経て、自分に跳ね返ってくる。
――そういうことって、やはりある気もしている。
(これは「実感として」、である。)


と、いうわけで。

ガッチリとした明確な「生きる目的」については。

「睡眠欲」「健康欲」「上機嫌欲」
この三つに置いてみるのって、案外、(私個人においては、だが、)「大正解」という気がしている。
(つまり、「※すごーく、個人差があります。」案件である。)

――「当たり前になっている」からって、「かけがえのないもの」を、そのことを忘れて粗末に扱うべからず。
(それらは「循環」しているので、その一つでも蔑ろにしてはダメなのだと思う。)
んなことをしていると、「当たり前ではない」のほうのエリアに、ある時これらが移行してしまったりするから。
そうなってからその「大切さ」に気づいても、後の祭りだとも思うしね。

あらためて精査し、「最も大切」と思えるものから順に、大切にしたいものだと思う、今日この頃なのである。

(以上、最近の記事、「個人的極論」ばっかりで、ホントにゴメンナサイ!笑)