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「札束で人の頬を叩く」みたいな空気

街が変わっていくこと自体が嫌なのではなくて、
そこに、「踏みつけられるような」「なぎ倒されるような」
空気を感じるのが嫌なのだと思う。

特に「お金の匂い」がそこいら中に「プンプンする」ようなのは、
下品で嫌かもしれない。

仕方ない側面もあるのかもしれんが。
それにしたって、その匂い、もう少し隠せないものなの? 
お洒落に隠せていると思っているみたいだけど、ホント匂うよ?
……と、思うことが多くなった。

(まあ、自分自身が大人になって、
その「お金の匂い」に、敏感になっただけかもしれないけど、笑
――に、してもである、)
例えば都会の街の風景の中に、
「夢」みたいなものが、感じにくくなったかなあ、と。
どの建物に目を向けても、
「とにかく即、商売!」って空気ばかりが目についてしまう。
それ以外、その「隙」すらも、見当たらないというか。
どいつもこいつもしきりに一心不乱に電卓ばかり叩いているというか。
「金を獲れるところからどんどん獲っていこう!」と、同時に、でも
「金を獲れない奴はこの世に存在しないものとして無視していこう!」
という、そんな血眼メッセージに、
四方八方ピッチリプログラミングされ「完全包囲」されているような、
都会の街を歩くと、そんな気分になる。
――という、これはただただ、ただの単なる、でも正直な、
※一個人の感想、でしかありませんが。

そして、ただの一個人の感想の続きとして。
「金の切れ目が縁の切れ目」みたいな感じで、
例えば地方の街から朽ちていくのがせつない。
「儲からない」という理由だけで、そこから死んでしまう街がせつない。

「金<人」ではなく「人<金」みたいなことが、ありありと目に見える、
そしてそれを多分これからも繰り返し、
生きている限りこれでもかと見せつけられ続けるのが、なんかツライ。


お金はとても「便利なモノ」だから、
私にとっても大事なものであることに間違いはないが、
どんなに便利でも、所詮、「モノ」は「モノ」でしかないはずなのだ。
――なのに、例えば「人命<金」にあからさまになったら、
それは、狂っているでしょう?

経済が滞ればそれで人が死ぬ、って言うけれど、
その場合でも結局それは、元を辿れば、
弱っている獲物(といってもそれは「人」ですけど)から順に、
経済が、喰いつき吸い上げ殺しにかかっている、
ということに変わりはないではないのかな?


「札束で人の頬を叩く」みたいな空気を、
「なんでもとにかく経済最優先」の中に感じることの多い、
そんな今の世の中に、正直、つくづく、厭気がさしている私です。