つまりは時々ボーっとダラダラしたい(笑)
本来、自分は、
「余白」を愛する人間だったのだ。
――いつからか、
「余白」=「無駄」と考えるクセがついていたが。
まったくもって、こんなのは
「自分らしく」ない。
でも、ここからは、
「余白」=「余裕」だと思いたい。
愛すべき「余白」を、
この手の中に取り戻すのだ。
「焦点」ばかりが
そこかしこにある世界になんて、
私は、
暮らせない人間なのだと思う。
私の中にある「時」の
その「ピント」は、
合わせるためでなく、
「ぼやかす」ためにあるのだ。
ぼんやりともしていない、
輪郭がどこまでも
ハッキリとした自分なんて。
そんなの、自分であっても、
たぶん、自分じゃない。