”私のために、争わないで。”-竹内まりやが描く「自意識高い系」の世界-
(タイトル!)
(いや、違うから!!これ、「悪意」ないから!!
――最後まで読めばわかるから!!!笑)
「自意識高い系」という括りで、 80年代アイドル曲でコンピレーションを作りたい、と思ったのだ。
(私ってば、毎度毎度、80年代アイドルの話ばかりでゴメンナサイ!)
(でも、それが最も「血沸き肉躍る」んですもの!!笑)
ジャケ写だけ並べるなら、聖子の圧勝だっちゃ。(だっちゃ?笑)
だって、デビューシングルから、「自意識高い」。
その後も、「意識をこの世で自分だけに集中する」聖子プロであります。
いや、思うに。
普通に自然に動かしていて、 手がこの位置に来ていた事って、長い人生の内で私はこれまで一度もない。
――Strike a pose,SEIKO!
そして、80年代の「CBS」時代のマークでソニーレコードのロゴを統一して画像を集めた、私を誰か褒めて欲しい。(知らんがな!!)
まあ、でも、80年代の聖子ちゃんカットとか。
明菜のレイヤーとかもそうだけど。
80年代アイドルの髪型って、「自意識高め」の象徴だよなあ。
――いや、だって、「相互監視が厳しい」今現在、こういう髪型って、パロディ以外ではしにくいじゃないですか。
「どんだけクルクルドライヤーでがんばってんだよ!」って、思われるわけじゃないですか!(笑)
そう考えると、80年代アイドルこそが、その「がんばり」を謳歌できる「自意識高い系世界」パラダイスとも言える。
と、私は思うわけなのです。
って、――いやいや。
ちょっと待て?
「コンピ」作るんだよな?
曲をどう選ぶべきか、だよな??
(そっちだったよ!!笑)
――と、思ったのだが、ふと。
竹内まりや氏がアイドルに提供した曲だけを集めれば、とりあえず狙い通りに、「自意識高い系の世界」が1枚が出来上がる事に、私は気づいたのである。
「まりや、スゲーな!」と、あらためてその才能に驚愕し、嫉妬している、中年独居アパートの日曜の午後である。(笑)
では、早速始めようではないか。
(前置きが長かったね。笑)
ちなみに、このお相手「彼」は、初対面設定です。
――こんなに「春めいている」アイドルPOPS、私、他に思い浮かびません!(笑)
で、この曲、簡単そうに見えて、カラオケで歌ってみると案外難しいんですよね。
(――って、歌うな!オッサン!!)
続いては。
単に目立たないのではなく、「一番」目立たないのである。
(某アイドルの「クラスで五番目にかわいい子」というキャッチコピーとは真逆を行く戦略とも言える。)
そして、まだ噂になる前から、「なりそう」と「自己申告」をする。
岡田有希子氏、このデビュー曲の頃って、(他の歌手の方でもそうだと思うが、)日に日に、回を重ねるにつれ、成長著しいというか、歌番組によって、表情が違うし、声のノリ方が全然違ったりするのが面白い。
ところで、黒柳さんだけならともかく、久米さんまで「ウキコ」さんと名前を間違えているように聞こえる。(もちろん「ユキコ」さんです!!)
そして、極めつけは、やはりこの曲である。
「けんかをやめて」
――それまでの「歌謡」スタイルの楽曲から、一段階時代を進めた感のある、河合奈保子氏の「第一転換点」の曲とも言える。
歌い出し冒頭から、鮮やかな「どストライク」の「剛速球」を決めてきやがる。
――返歌として「かわいいふりしてあの子、割とやるもんだね」と、あみんの「待つわ」を返したい。
(と、思ったのだが、考えてみるとこの歌もその後「と、言われ続けたあの頃、生きるのがつらかった」と宣うので、んなことそもそも一度だって言われたこともない私とは、これまた別世界の話なのだと気づいてしまうわけなのだが。笑)
そして最終的には、
と、来たもんだ!
と、このように歌詞の文字だけを追えば、「何て身勝手な!」となるんだが。
河合奈保子氏が歌い出すと、「切実な」むしろ「シンパシーすら感じてしまう」曲となるから。
アイドルポップス、まさに「魔訶不思議の世界」である!
そういや、アルバム曲だが、薬師丸ひろ子氏への提供曲も。
「トライアングル」とか「終楽章」とか、もう「全編通して」なので、歌詞抜粋掲載しないが、「なんてこと!!」という内容である。(笑)
福永恵規氏への87年の提供曲も、以下の通りだ。
――すかさず、である。(笑)
で、曲の最後には、
と、来たもんだ!
仕事が早い!!(笑)
――いやいや、しかしである。
ここまで揃うとやはり、まりや氏、これは「確信的に」作っているな?という気もする。
「相手を選んでやっている」。
つまり、「この人が歌いさえすれば、よくある『人間の業あるある』すら、美しい物語にまとまるに違いない」というのを、読み切って創作しているとしか思えない。(※個人の感想です。笑)
どの曲も、まったく厭味なく、いや、むしろ「美しい」とも言えるくらいの世界が、そこに展開しているわけである。
そこでふと思い出す。
中森明菜氏に提供した「駅」の歌詞の、解釈が二手に分かれる、以下の部分。
「昔愛したあの人」を、黄昏の駅で見かけるが、一つ隣の車両に乗ったまま、声を掛けられずにすれ違っていく、という内容の曲なのであるが。
この「私だけ 愛してた」の部分が。
「私だけを、愛してた」なのか、
「私だけが、愛してた」なのか、
内容としては、どちらにもとれるわけである。
――まあ、でも、まりや氏の「自意識高い系」世界として、その提供曲を分析し、展開してきた、ここまでの流れから。
私がどう解釈するか、皆様、もうおわかりですよね?(笑)
当時の「駅」がなかったので、参考までに、同AL収録曲から、竹内まりや作品、
「OH,NO! OH,YES!」をどうぞ!
いや、でも、まとめとして、真面目な話。
そういう内容を、当時の「清純派アイドル」に歌わせることにより、ちゃんと「おとぎ話」に仕立て上げる手法も、 その後に山下達郎アレンジでドライに自ら「語り部」となって回収する手法も、 大したものだと思います。
(フォローじゃなくてホントに。笑)
87年リリースの、上記の提供曲カバーも数多く収め、爆発的な売上枚数を記録したアルバム『REQUEST』は、全曲「キャッチ―な作品」で固めた、今聴いても恐ろしいほどの名盤だと思うし。
――それに、である。
これらの80年代初出作品が、40年(!)経った今でもちゃんと「名曲」として語り継がれているということは。
みんなどこかで、こういう「自意識高い系」の世界に、憧れているわけじゃないですか?
ですよね?
だって、これがもしその人にとって「嫌な世界」だったら、皆、わざわざ聴き続けないでしょう?
その「大衆の夢」を、「アイドル」と言う存在を使うことで、「正確に映し出し、的確に描き出した」、やはりソングライターとしての竹内まりや氏のその手腕は、すごいものがあると、私は思います。
こんな記事がありました。
そして、夫である山下達郎氏による「竹内まりや評」として、そういえば、こんな記述もあった。(以下に同記事から再び引用。)
そうなのである。
他人様の「自意識の高さ」なんぞを、妬みやっかんでいる場合では、ないのである。
自分というものを、もっと、全力肯定!
みんなで、「自意識」を、もっと高めていこうではないか!!
もっと、高め高めの、高め設定でな!!
(いったいなんなんだ、このまとめは!!!笑)