![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/99009015/rectangle_large_type_2_17f1ed8ab1688ea37bc048469bcfc09c.jpeg?width=800)
損を損のままにしたら本当に損になるだけだし
「人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら、成熟していくためなんじゃないでしょうか。」
とは、樹木希林さんの言葉である。
深く頷くと同時に。
「難」をそういうふうに捉えて、意識的にでも「自分が成熟するための材料」にしていかないと、それは「ただの災難」「悪運」でしかなく――つまりは「損」のまま終わってしまうわけだから。
そこはやはり「自分次第」なのか。
そういうことならば。
意地でもそれを「栄養」「教材」にしてやるからな!
――なんていうふうに、「ドケチ」な私は思うわけである。(笑)
![](https://assets.st-note.com/img/1677457666908-w0ONIlok3W.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1677457699118-snOtj1Xmnq.jpg?width=800)
いや、でも実際、「それまでに考えなかったことについて考える」そんなきっかけには、確実になるわけだ。
それも「相当切実な気持ちで、真剣に、深く考える(考えざるを得ない)」ことになる。
――いつもの自分のように「ぼんやーり、なんとなーく、頭の中を泳がせておく」のとは、やはり訳が違う。
![](https://assets.st-note.com/img/1677457872052-69Hr0eO1No.jpg?width=800)
生きていると、思いがけない(つまり向こうから勝手に)「迷路」とか「落とし穴」とかが、やってくる。
そして、生きている限りは、そういうものに出くわすたび、そこを「抜け出す」ことをせねばならない。――もうこれは、仕方がない。
でも、その「抜け出し方」「抜け道を見つけ出すコツ」というのは、掴んでおけば、その後も繰り返し使えることも多い。
「おバカな自分」なりに、そうやって、もっと、もっと、もーっと、賢くなっていかねばならないのだ。
――「そのための『難』」に、「自分で」していかねばならないのだ。
自分の脳や心に蓄える「学習」は、他の誰でもなく、「自分自身でしか」できないものだからだ。
――他者は、「教示」まではしてくれるが、自分の代わりに「学習」「習得」など、してくれない(できない)のである。
![](https://assets.st-note.com/img/1677457774550-GIjvcijHk3.jpg?width=800)
樹木希林さん然り。昨日の記事の山口百恵さん然り。
各々、いろいろ「壮絶な人生」という側面もありつつ。
でもどこか「一本筋の通った」強さで、それらを跳ね返していって、「おどろおどろしい」のではなく、「清々しい」「凛とした」ほうの強さを、更に増していくような。
そんな生き方がしたいものだよなあ、なんて、しみじみ、しみじ~み、思った次第である。
![](https://assets.st-note.com/img/1677457807789-6hc123XXvS.jpg?width=800)