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損を損のままにしたら本当に損になるだけだし

「人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら、成熟していくためなんじゃないでしょうか。」

とは、樹木希林さんの言葉である。

深く頷くと同時に。

「難」をそういうふうに捉えて、意識的にでも「自分が成熟するための材料」にしていかないと、それは「ただの災難」「悪運」でしかなく――つまりは「損」のまま終わってしまうわけだから。

そこはやはり「自分次第」なのか。

そういうことならば。
意地でもそれを「栄養」「教材」にしてやるからな!

――なんていうふうに、「ドケチ」な私は思うわけである。(笑)



いや、でも実際、「それまでに考えなかったことについて考える」そんなきっかけには、確実になるわけだ。



それも「相当切実な気持ちで、真剣に、深く考える(考えざるを得ない)」ことになる。
――いつもの自分のように「ぼんやーり、なんとなーく、頭の中を泳がせておく」のとは、やはり訳が違う。

生きていると、思いがけない(つまり向こうから勝手に)「迷路」とか「落とし穴」とかが、やってくる。

そして、生きている限りは、そういうものに出くわすたび、そこを「抜け出す」ことをせねばならない。――もうこれは、仕方がない。



でも、その「抜け出し方」「抜け道を見つけ出すコツ」というのは、掴んでおけば、その後も繰り返し使えることも多い。

「おバカな自分」なりに、そうやって、もっと、もっと、もーっと、賢くなっていかねばならないのだ。
――「そのための『難』」に、「自分で」していかねばならないのだ。

自分の脳や心に蓄える「学習」は、他の誰でもなく、「自分自身でしか」できないものだからだ。

――他者は、「教示」まではしてくれるが、自分の代わりに「学習」「習得」など、してくれない(できない)のである。



樹木希林さん然り。昨日の記事の山口百恵さん然り。

各々、いろいろ「壮絶な人生」という側面もありつつ。

でもどこか「一本筋の通った」強さで、それらを跳ね返していって、「おどろおどろしい」のではなく、「清々しい」「凛とした」ほうの強さを、更に増していくような。

そんな生き方がしたいものだよなあ、なんて、しみじみ、しみじ~み、思った次第である。



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