見出し画像

未知なる人生の体感『たたかうひっこし(UNI)』

本を読むと、自分が知らないことを知ることができる。
時には、自分が経験していない出来事を文章から体験して吸収することだってできる。
『たたかうひっこし』は、そんな本。

地元名古屋にずっと居住、夫も私も転勤がない会社員。
結婚出産というイベントを経ても尚、居住地が大きく変わることはない。
だからUNIさんのように7回も引越しをしているだけで、永久地元民の私はたまげてしまう。

しかも静岡から北海道。
それはもう果てしのない距離。想像すらつかない。
パートナーの仕事のために大幅な距離を移り住む。家にある膨大な荷物を箱にどんどん詰めて、不要と判断したら処分する。処分だってモノによって場所が異なる。ひとつひとつのモノに向き合う部分は、我が家に溢れる物たちを意識せざるを得なかった。
自分が何かの理由で急死しても家族が困らない程度には物を減らしておきたいのだけど、忙しさを理由に逃げている。

義母との急な別れのくだりは、自分の義母との別れを思い出してしんみりした。
私の義母は肺癌で、コロナ禍に入退院を繰り返してお見舞いにも行けず、ゆっくり話せたのは「もってあと一週間です」と宣告されてからだった。
死ぬ間際にようやく許された面会。
あの一週間を未だに思いだしては、もっとああしたかった、こうすればよかったと後悔の念がよぎる。

そう、この本は、今のままなんにも変わらないなんて思ってちゃいけないよと語りかけてくる本でもある。
日々のささやかな出来事、自分の感情の波、記憶からすり抜け続ける日々の生活や変化がこの小さな本には隅々までぎゅっと詰まってる。

どうしようもなく体調が悪い日、気分が乗らない日、なんにもしたくない日だってある。
それでも降り注ぐ毎日の生活。
否応なしに訪れる変化や分岐点。
不意にさす、ほんのり光るような希望。
それらはどんな人にも訪れるけれど、どんどん忘れて消えていく。
書き留めるということは、記憶を繋ぎ止めるということなんだ。

自分以外の人生を、少し覗き見して、自分の中に取り込んで、体感できた気持ち。
いつか、突然何事かが起きて、名古屋から離れないといけなくなったら。この本を思い返して私もめいっぱいたたかうことにする。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?