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揚げ物は揚げたてに食うのが美味い話と、黒人のソウルフードであるフライドチキンの話

揚げ物は揚げたてに食うのが1番美味い。
天ぷら屋や串カツ屋などがカウンター越しから揚げたてを提供する理由はそこだ。

で、外食をすれば当然のことながら楽チンに揚げたてを食えるわけだが、家でも調理すれば当然揚げたてを食うことは出来る。

揚げ物の代表といえば、鶏の唐揚げ(フライドチキン)が挙げられると思う(揚げ物なだけに。あ、申し訳ない、こ~ゆ~のいらんわな)。

我が家では、鶏の唐揚げなどの揚げ物については、 揚げたてをその場でいくつか摘まみ食いすることが慣例化されている。
皿に盛る前にいくつか摘まみ食いするのだ。
俺が揚げ物をした時も、嫁が揚げ物をした時もである。

フライ鍋からいい具合に揚がった鶏の唐揚げを「すくい網」で取り出し(鶏なだけに。あ、度々申し訳ない、こ~ゆ~のいらんな)、油切りにそれを移して適当に油を切った後、その揚げたてをキッチンで立ったまま食う。

油を適当に切った揚げたての鶏の唐揚げを、揚げ物の続きをしながら食うのだ。揚げ物を揚げる音を聞きながら揚げたての揚げ物を食うのである。

揚げたての鶏の唐揚げを箸で摘まめば、そこから湯気がまだ出ていることが分かる。
そして、その揚げたての唐揚げの表面には油がまだピチピチと跳ねていることも分かる。
それをキッチンで立ったまま摘まみ食いをする。
揚げたての唐揚げは非常~に熱いので、一気に口の中には入れられない。なので少しずつ食うのだ。

そして、その唐揚げの相棒は冷蔵庫で冷やしておいた缶ビールだ。
冷えた缶ビールのプルタブを開け、シュワッという炭酸が弾けた音を聞いてからすぐに喉に流し込む。
口の中や喉にへばりついた油を冷たいビールで流し込むのだ。
そしてまた、まだ熱いままの揚げたての唐揚げを少し食う。で、また冷たいビールを喉に流す。
揚げ物の続きをしながら立ったまま、熱い揚げたての唐揚げ、冷たい缶ビール、熱い揚げたての唐揚げ、冷たい缶ビールを繰り返すのである。
因みに、嫁は缶ビールではなく、缶のレモン酎ハイなんかでそれをやる時もある。現在小6の娘は炭酸飲料でそれをやる。

このようにして、我が家では揚げ物をする時は、皿に盛る前にキッチンで立ち食い状態のまま、揚げたてのものを各々が2つくらいは食い、その揚げたての美味さを存分に楽しむのである。

話はだいぶ変わるが、フライドチキンが黒人のソウルフードの一つである話はわりと有名であろうと思う。
ソウルフードといっても、日本に居る現在の我々が「郷土料理」の意味で使うソウルフードとはニュアンスはだいぶ異なるのだが。

フライドチキンは、その昔、アメリカ南部の農園等で奴隷として働いていた黒人達が生み出したものだ。

当時の白人達は鶏を食う時は茹でたり蒸したり焼いたりして食っていたという。ローストチキンなんかはその代表だ。黒人をコキ使って優雅なもんだな当時の白人。

当時の白人達が焼いたりして食う鶏の部位は肉の多い胴や足。それ以外は捨てていたと。ナイフとフォークで上手いこと食えれんものは食わなかったのだろう。
肉が少なく皮を剥いで食うことが困難な部位や内臓なんかは捨てていたわけだ。
令和に生きる俺からすれば、手羽先だの砂肝だのを捨てるなんて、なんて勿体無いないと思ってしまうのだけれども。

で、それを黒人達が持って帰るわけである。
仕事を終えた黒人達はそれらをじっくりとオーブンで焼いている時間なんて無かったであろうし、また、そもそもオーブンすら無かったかも知れない。

そこで、黒人達は白人達が捨てていた「ゴミ」と言えるような部位を、味を付けて油で揚げて食っていたということなのである。
フライドチキンが黒人のソウルフードだという話はこの辺りからくる(因みに、黒人のソウルフードはフライドチキンよりも更に遡ることが出来る)。
「じっくり茹でる」「じっくり蒸す」「じっくり焼く」よりも「揚げる」の方が調理時間は短時間であるし、高温の油で揚げることにより、鮮度をあまり気にしなくてよく、匂いも減り、また、柔らかい骨なんかも食えるようになるというわけだ。
そして、揚げ物は高カロリーである為、普段キツい肉体労働を行っていた当時の黒人達にはとても重要な食い物であったと思う。人は油を取ると元気になるのだ。
揚げ物のことを「ジャンクフード」と呼ぶこともあるが、ひょっとしたらこの辺りの背景もあるのでは?と思ってしまう。勿論、ジャンクフードの語源については諸説あるのだろうから、あくまでも俺の憶測でしかないのだが。

因みに、カーネル・サンダースがケンタッキーフライドチキンを創業するのは、フライドチキンを白人達も食うようになってからの話である。
ケンタッキーフライドチキンの中に「あばら(小骨が多い部位)」があるが、これは昔の黒人達のソウルフードの名残ではなかろうかと思う。
なぜならば、茹でたり蒸したり焼いたりするには向いていない部位だと思うからだ。これについても俺の憶測でしかないのだけれども。

そして、ここからは俺の願望を含んだ憶測なのだが、当時の黒人達は揚げたて揚げ物の美味さを知っていたはずだろうと思うのだ。
で、その揚げたての揚げ物の美味さを知らない当時の白人達を尻目に、自分達は様々な部位の揚げたてを食って楽しんでいたのではなかろうか。

俺は砂肝をカリカリに素揚げにして食うのが好きなのだが、当時の黒人の中にも我々日本人と同じように、砂肝や肝を食べやすい大きさにちゃっちゃと下処理して素揚げして食ってた人間もいただろうと思うのだ。
手羽先の美味さを知っていた黒人も沢山居ただろうと思う。
我が家がキッチンで揚げたての鶏の唐揚げを立ち食いして楽しんでいるように、当時の黒人達の中にも、揚げたての手羽先の唐揚げを立ち食いして楽しんでいた家族もいたのではなかろうか。

ソウルフードという響きには、奴隷制時代という悲しい時代の中にあって、それでも逞しく楽しんでいた当時の黒人達の思いも含まれているような気がしてならない。

クリスマスシーズンなので、チキンに纏わる話をとりあえずしてみた(鶏なだけに。あ、申し訳ない、こ~ゆ~のいらんかったんだった)。

ええっ! ホント〜ですか。 非常〜に嬉しいです。