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人体から離れたもの

人間の体から離れたものは何だか汚いもののように感じてしまう。

例えば、髪の毛。
美しい人のサラサラした髪の毛は「いいな~」「ステキだな~」と思う。
でも、そんな美しい人の髪の毛であっても、ひとたび抜け落ちた髪の毛はただのゴミだと思ってしまう。
風呂の排水口のネットに引っかかった髪の毛なんかは余計にそう思うではないか。

可愛らしいネイルアートが施された爪も、ひとたび切られたものはただのゴミだ。

「うんこ」はどうであろうか。
人間誰しもが、その体内にうんこを宿しているわけだ。
どんなに見た目が麗しい人であっても、その腸内にはうんこが存在している。
その事実を皆が認識しているのにもかかわらず、皆が皆、体内に内蔵されているうんこの汚さを気にすることはない。うんこなのに。
しかし、肛門から排泄された瞬間にうんこは汚物となるではないか。

尿についてもうんこと同様だ。
たまに、そういったものを「聖水」だとか言って有難がる御仁もいらっしゃるが、かなりの少数派であろう。

唾もそう。
皆が皆、食い物と一緒に己の唾を飲み込んでいるのにもかかわらず、一度吐き出しだ己の唾を再び飲み込むことに躊躇いがないという人は、ま~、あまりいないと思う。
ただ、唾と唾とがど~しても絡み合ってしまう接吻という行為については、ここでは別枠とする。
基本的に、吐き出された唾を喜んで体内に取り込もうとする人は、世間的には冷たい視線を浴びるはずだろう。そ~ゆ~ご趣味の方は、世間ではヘンタイと言われるのだ。

血もそうだ。
大切なものなのに、体外に出た血はあまりキレイなものだとは思えない。
ただし、血については男性より女性の方が色々と耐性があるようにも思う。

鼻くそはどうであろうか。
取り出された鼻くそは間違いなく汚いと思ってしまうではないか。鼻の穴の中にある時は汚いとまでは思わないのに。
鼻くそとは鼻の粘膜を守る鼻水とホコリが固まったものだ。
鼻水とホコリをそれぞれ別にして考えれば、鼻水はやはり触れたくはたくはないが、ホコリは指先とかで案外触れられるもののような気がする。

このように、我々は人体から離れたものを汚いものと捉えてしまう。

では何故そう捉えてしまうのか。
その理由は進化心理学あたりから説明出来る。

理由は簡単で、人体から離れたものは我々を病気にさせる危険があるからだ。
排泄物や人体から出てくる様々な液だの汁だのは、我々とっては脅威なのだ。様々な病気を引き起こす可能性があるので。
また、切り取られた人体の一部は、ものによっては腐敗していくものもある。
腐敗していくものも病気を引き起こすリスクがあるので我々にとっては脅威なのだ。

で、ここからが進化の話だ。
上に挙げたような「人体から離れたもの」を「汚い」と判断する者がより種の保存に適していたのだ。
それらを汚いと避ける者達の方がより次の世代に子孫を残せたのである。
そりゃそうだろうと思う。
うんこをぶじゅぶじゅとへ~きで触れる奴よりは、触りたくないと思う奴の方がより病気になり難いだろうと思う。
より生き残り易いのはどっちだという話だ。
こ~して、我々サピエンスにはその進化の過程で「人体から離れたものは汚い」という脳の傾向が形成されてきたのだ。

つまり、うんこを代表とする人体から離れたものは「汚い」のではなく、我々サピエンスの脳が「汚いと判断しているだけ」なのである。
我々サピエンスにとっては病気になるリスクがある為に脳が「汚い」と捉えているに過ぎない。

その証拠に、うんこを代表とする人体から離れたものは、ハエにとっては食い物なのだ。
ハエにとっては、うんこを代表とする人体から離れたものは大ごちそうなのだ。

また、我々がハエを嫌うのは、ハエは我々が汚いものと捉えているものに集る(たかる)からであり、またその為に病原菌を運んでくるから嫌いなのだ。あいつらは腐ったものとかにも集るし。
で、我々サピエンスは進化の過程でハエをそのように捉えて嫌う者達が自然選択されてきたのである。

俺には過去に以下のような体験がある。
知り合いと海釣りに小さなボートに乗って沖合いへ行ったときのことだ。
そこで船酔いして嘔吐したのだ。
ゲボを海に向かってゲボゲボと吐いたのである。
すると、どうだろうか。
俺のゲボに魚が集まってきたのだ。なんとタコまでもやってきた。
つまり、俺のゲボはそいつら魚やタコにとっては食い物だったのである。
ひょっとしたら、俺のゲボを食った魚やタコを釣って食った人がいるかも知れない。
なんという食物連鎖だろうか。

如何だろうか。
人体から離れたものを汚いと我々が捉えているのは、我々サピエンスが進化の過程で作られた脳の傾向がそうさせているだけなのだ。
他の生き物にとっては食い物だったりもするのだ。
そもそも、自然界には汚いもクソもない。
あ、クソはあるのか。

「汚い」とは我々サピエンスが作り出した概念でしかないのだ。

また、このような「人体から離れたものを汚いと捉える脳の傾向」から「穢れ思想」なんてものもおそらくは生まれ、そして、育まれてきたのだろうと思う。「穢れ思想」の良い悪いはとりあえず、置いておくとして。
文化人類学を進化心理学等からアプローチしたらきっと色々と面白いはずだ。

冒頭で俺は、「人間の体から離れたものは何だか汚いもののように感じてしまう。」と述べた。
しかし、実際に自然界には「汚い」なんてものはないのだ。
我々サピエンスの脳が「汚い」という概念を作り、そう捉えているだけなのだ。
そう考えれば、例えば「うんこ」なんてものについても、少しは優しい目線で見てあげることが出来そうではないか。

我々の体から離れたものも、かつては我々の一部だったのだ。
かつての自分自身を形成していた部品の1つとも言えるではないか。

もしかしたら、汚いものは尊いものなのかも知れない、なんて思ったりしなくもなくもなくもない。

今日のテーマ

他の生き物になって考えてみよう。
他の生き物になって、色々なものを見てみよう。

ええっ! ホント〜ですか。 非常〜に嬉しいです。