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不安という感情は、ある種の合図なのかもしれない。

新しいことを始めるとき、逆にやめるとき、環境に関わらず、何かを変えるときは、満タンのやる気、期待とワクワク、と同時に、不安に襲われる。
それも数え切れないくらいに。

2020年2月20日、わたしは東京から宮崎に移住した。

結婚のためとか、会社都合とかではなく、自分のやりたいことを叶えるために、自分で選んでここに来た。(詳しくは前回のnoteを見てくれたら♡)

たった3日。たった3日しか経っていないのだけれど、実は既にその不安が顔を出してきた。

正確には、これから顔を出すであろうそれを感じ、こういう不安の波がくるのだろうな、こういうときに心細くなったりするだろうな、といったようなことを予感したと言うべきか。うまく言えないけれど、そんな感覚。

***

もともと、自分よりも相手の気持ちや環境を考えて動くタイプであったわたしは、「自分のスキ、やりたい、を大切にする」と決めてからも、それらを完全に切り離して考えることは難しい。
むしろそれは、わたしの個性だと考え方を変えたくらいだ。

けれど、今回のこれは、他人に対するものよりも、もっと、自分の奥の部分に対するものだった。

「失敗」したくないから?
かっこよく思われたいから?
「成功」したいから?
「好かれたい」から?
「家族」も「友人」もここには(ほぼ)いないから?

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どれもどうも違うような気がして、考えて、導き出した答えは、
「自分の強み」がふわふわしていること、が起因しているということ。


最近よく耳にする「自分ブランディング」をしようとするとき、

「自分の強み」「自分が他者に対してできることはなにか」など、そんなことをまず考えがちだと思う。

けど、おそらく順番は違っていて。

 自分がどう在りたいか
  ↓
 どうしたらなれるか
  ↓
 どう魅せたいか
  ↓
 魅せ方を具体的にどうするか

なのだと思う。少なくともわたしの場合は。

「自分と言えば○○」これがあると確かに強い。
わかりやすいし、相手に対する引っ掛かりを作りやすい。
だからこそ、それを持っている人が羨ましくて、だから自分も…と考えるのだけれど、
当然、そこに固執しすぎるとうまく行かなかったり、する。

「自分と言えば○○」だとかは具体的な魅せ方の段階で考えればよくて、
まずは、そもそも「自分がどう在りたいか」
改めて書き出すと、本当にアタリマエのことなのだけれど。

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なるほど、これからの準備期間は、カフェについてだけではなく、色々なことを試行錯誤して作っていくのだろうな。
と思ったのと同時に、ふと、不安な気持ちになるときってそれについて向き合うべきタイミングなのかもしれない、と感じた。
不安なことに正面から向き合うのは怖いし、目に見えないからなおさら怖くて、面倒くさい。
けれど、ほうって置いたとしても結局おんなじ芽がまた別のタイミングで出てくる。

それって、「今それについて考えるべきだよ〜、そういうタイミングだよ〜」っていう合図なのかもしれない。
そう思うと、不安でモヤモヤして、気持ち悪いなぁっていう心の状態も、「あ!合図きました!向き合うタイミングです!」ってコミカルに考えてしまえる。

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そんなことを思った移住3日目。
毎日面白い出逢いや発見があって、充実していても、不安って生まれちゃうらしい。
自分でも気づかないうちに勝手に自分にプレッシャーかけていたのだなと反省しつつ、みんながゆっくり慣れてねって言ってくれたのは、こういうことなのかもしれないと、どこかで納得した。

焦らず、ゆっくり、と。




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