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東京からゆかりのない宮崎へ移住し、カフェをやる理由。


来週、わたしは宮崎県宮崎市へ移住する。

生まれは東京、育ちは東京と千葉のハーフ。
数年前、当時一緒にいた彼から、「広島についてきてほしい」と言われたときには、正直、東京から、それも関東から出て生活するのは…と悩んでいたこともあったのに。
本当になにが起きるか、どう自分が変化するか、わからないものだと思う。

今回は、
1 カフェを「自分」で開業することにしたきっかけ
2 なぜ「宮崎」なのか
について、言語化の練習のためにも残してみる。

具体的に「どんなカフェにしたいか」は長くなるのでまた今度。


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2017.4.27 わたしはカナダのトロントに降り立った。
11年続けていた、国家公務員の仕事を辞め(円満にね)、いわゆるギリホリと言われるものをしに。
というより、20歳頃からぼんやり思っていた、「いつか、日本ではない海外で「旅行」じゃない、「生活」をしてみたい」っていうのを、諦められなかったのと、失恋して時間ができたから。

乗り込んだタクシーの車窓を流れる景色は、紛れもなく「異国」で、旅ではない、これから最低でも半年はこの国で「生活」をするのかと、どきどきと、わくわくと、ほんの少しの心細さとを混ぜこぜにしたような、そんな気持ちだったのを覚えている。結局その後2年住むことになったけど。

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カラフルな野菜、カットされていない骨付き皮付きの鶏肉の塊、現金より使うデビットカード、お酒専用のマーケット、チップ込みで2000円もするラーメン、ぜんぜん切れないし密封できないラップ、電車のアナウンス、色んな肌、目の色の人たち、夜にムワッと香るマリファナ、夏の毎日のイベント、マイナス何十度の世界でするスケート。

そんな、そこでの生活が、わたしの日常になっていったけれど、そのベースにあったのが、本当にお世話になった家族経営の小さなカフェだった。

コーヒーの事だけじゃなく、仕事の難しさ厳しさ楽しさ、人生観、恋愛、家族、好きなハリウッドスター、悩み、、数えきれない種類の話題をシェアし合い、学ばせてもらった大好きな、大切な、この場所で、
わたしは新しい夢、目標を見つけた。

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「今日はね、仕事で嫌なことがあって。本当に辛くて。気分をあげたいと思ってここに来たの。」
「いつもありがとうね。」


泣いている彼女にとマネージャーが描いたデザインラテ(下画像のはわたし作)をひと目見て、常連の彼女はそう言った。
涙で滲んだ瞳でふっとやさしく笑いながら。

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日頃から、「家みたいに落ち着く」「顔見に来た」「元気が出た。また来るね」などの声をかけてもらえることが多かったけど、そういう言葉ってとても嬉しいけどきっと、挨拶みたいなもの。

けれど。

自分がしんどいときに、気分を上げる場として選んできてくれた、その気持ちが、その空間を一緒に作れていることが、たまらなく嬉しかった。
元々、お客さんと接するのが好きで、帰国したらこういう仕事もいいなと思ってはいたけれど、彼女のことは今もはっきり覚えているくらい、衝撃的だったのだと思う。


「逃げ場」でもいい、その人が安らげる、気分が高まる、心地よいと思う、そんな空間を「私が」作りたい。そう思った。

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ではなぜ、九州の、それも「宮崎」なのか。
経緯は色々あるのだけれど、わたしにはビジネスパートナーがいる。その奥さんの出身が「宮崎」。
それだけ。本当に、ただそれだけ。

でも、きっかけはなんでもいい。
実際に1人で宮崎を訪ねて、自分の眼で見て、人と実際に接して、

「宮崎好きだな。いいところだな。住んでみたいな。楽しくなりそうだな。」と感じた。

それがわたしにとって本当に大切で。
だってそれは、どの県にも感じることじゃないから。


「そんな理由じゃ弱い、苦しくなる。」と宮崎の人にも関東の人にも言われたこともあったけれど、
正直、わたしにとって移住って、普通の引っ越しと変わらないし、そうなると「転勤、結婚、介護」以外でする引っ越しって、その土地が好きかどうか、居心地がいいかどうかで決めるはず。
もちろん住んでみないとわからないし、観光と居住は違う。けれど、それは、どこも同じだと思う。

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そして今は、「宮崎を九州外、海外に広めたい」という野望がある。

幼少期から故郷というものに憧れがあったからか分からないけれど、カナダで、他国で、日本についての認知度が東京、大阪、京都くらいしかないのが少しショックだった。なんなら人によっては日本を知らない人もいたし。
もっとたくさん美しい場所があるのに、もっとたくさん見てほしい景色が、知ってほしい文化があるのに。楽しんでほしいのに。

そして帰国してから訪れた宮崎で感じた、宮崎の人がいう「何もないところなのに」という言葉への心の引っ掛かりも。
外部=わたしから見たら魅力的なところだらけなのに、もっと広めたいところだらけなのに。


正直、地方創生!!という言葉への興味は、わたしにはない。
自分がそんな大層なことできるとは思っていないし、そういうのは、1人じゃなくひとりひとりの意識、行動によって最終的に「組織」で行うものだとわたしは思うから。そもそも創生ってなんだ、とも。
ただ、自分が挑戦することによって、周りの人が楽しくなって、それが少しずつ広まって、もともとあった文化と相まって、気づいたら盛り上がってきたねっていうのが理想。
(誤解しないでほしいのが、地方創生のために動いている方々のことは本当に尊敬しているし、関わりたい。ただ言葉に興味がないだけ。)

だから、やってみよう、と思う。
好きだな、居心地いいな、と思った宮崎で。


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何かをするときに、「環境」というものはどうしても強く関係してくる。
例えば、よく聞く、周りの人に否定され、嘲笑され、それで自信をなくし、やりたいこと、思うことができなくなっている。そんな話を聞くたびに思っていたのは、

「・・・わたし、そういう経験ってないな。」

理由はいたってシンプルで、周りの人がみんな、そういう人ではなかった。ただそれだけ。
厳しい意見を言われることはある。けれどそれは否定ではなくて。
環境で自分が変わるなんて1ミリも思っていないけれど、やり易さはきっと違ってくる。

だったら、そういう環境を作りたいし、否定やジャッジをしない人で在りたい。
そしてせっかくそんな環境にいれたのだから、どんなに難しいとしても、挑戦してみて、楽しいよって見せたい。
もし間違えたり、うまく行かないことがあったって、やり直せるし。
不安は当然あるけれど、「不安もなくて自信満々で準備万端!」って時は、たぶんわたしには来ないから。
やってみて、やりながら修正していくしかないのだろう。

だから、頑張るから
見ていてねってこと、です。

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