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「ヴィンランドサガ」に救われる


今回は漫画「ヴィンランドサガ」の、奴隷編から最新刊26巻までの感想だから、読んだ人専用なのでくれぐれも注意してね!

「お前の体は生きたいって言ってるぞ」

本気には本気で対応してしまうもの・・・


生きていても何も良いことがなかったのに


そうなんだよね
どんなに辛くても、どんなに迷惑かけていても、どんなに死ねと願われても、体は生きようとしてるんだよね

自分とは心なのか?体なのか?

自殺しちゃう人はきっと心だけが自分自身だと思っちゃってるのかも知れない

物語の中で斬首処刑される戦士も言ってたけど、頭と体が離れたら人はどっちが自分になるんだ?

そのくらいどこからどこまでが自分で、何を持って産まれたと…何を持って死んだって言えるのかな?
そんな疑問、誰もが持ってるよね

この曖昧さのなかで私たちは曖昧に線を引いて生きてるんだ

「人は変われる」

エイナルに宣言するトルフィン


私も子供の頃から「変わりたい」といつも思い続けてきた

「こんな人間で居続けたいわけじゃない」
「こんな生き方をしたかったわけじゃない」

そうやってもがいて来た中で「人間、性格だけは絶対に変わらない」と諭されたことがあった

今思うと、私が言わせていたんだとわかる・・・私の中の誰かは、転生の中でそう思い知ったんだろう

だからそれに抗うように生きて来たはずが、全くその通り生きて来てしまった

55歳を目の前にしてようやく変わり始めた気がしてるからまだ希望は捨てていない

「奴隷編」9巻から26巻までは、トルフィンが「人は変われる」と言う実験をする内容だったと思う
そしてそれを周りの人々や、自分自身が疑い、見張り、見守りながらも信じ、そして信じたようにトルフィンが変わる物語だ

26巻の最後は何度見てもまだ号泣するわ

本当に、あのトルフィンがどう変わって行くのか?が、ヴィンランドサガの見どころだったね

トルフィンはいつのまにか全てにおいて、父親を超えていたし

本当にトルフィンの葛藤が私自身の希望にもなった

「いつも最初の手段を選び取れるようになりたい」


こうやってトルフィンは大切なことに気づいていく

名言は8巻までもまだまだあったし、9巻からは名言の嵐だったけど、私はこの言葉が2022年12月の私自身には一番響いた

私は我慢に我慢を重ねては、初めから最終手段を使っていたような気がする

辞めるとか、切るとか・・・

されたし、もちろん私もそうして来た

でもこれからは、初めから一番良い方法だけを考えて行動できる自分になろうと思う

→言いたいことを最後に言うのはやめよう
→言いたいことを今言うことをはじめます
→誰とも比較せず、取引をせず、戦わず、犠牲にしない

あなたも、私も、みんなも、知らない誰かも…全ての人の喜びにこの先繋がる道を拓いて行こう

そう決意ができた


「なのに俺には黙って嗤われる勇気がなかった」


トルフィンがいた農場の、地主の息子の気づき


取り返しのつかないことが起こってから気づくしかないのは悲しいけれど、トルフィンの父親もトルフィンに「自分で気づくしかないか」と言っている


私もそうだ

思い知ってからしか動けなかった

でもそれでいいんだ
だからこそ今から「変わる」と本気で言えるんだ

そして変わるために色んな勇気が必要になってくる

変われなかったのは「怖かったから」なのだから・・・いつでも「何か恐れていないか?」と自分自身を疑える自由を自分に与える必要がある

これは意図しないと思いつかない

「自分を疑う」


これをこれからも大切にしていきたいと思った


「恨みごとのひとつも聞いてやるのが筋じゃねえのか」

死んでもアシェラッドはずっとトルフィンを支えていた
ここは地獄?ヴァルハラ?!

地獄にぶら下がったトルフィンに群がる死人達はまるで『蜘蛛の糸』でカンダタの蜘蛛の糸に這い登ってくる死人のよう

醜い死人達が今にもトルフィンに追いつこうとした時、思わず蹴散らそうとしたトルフィンにアシェラッドが言った一言だったよね

トルフィンと同じような状況の人が私以外にもいるんじゃないかな

物語ではトルフィンが殺した何百という死人だけれど、私の足元にいるのは、何百何千もの「自分自身」なのだと思う

それほど「嫌った自分自身」を、私は未だ嫌って蹴散らそうとしていたんだ

私もトルフィンと同じように「かつて嫌って殺した自分自身」を背負うように向き合って一人一人救って行く道のりを今歩いてるんだ

きっと、許し合えると信じてる

そして全部が自分自身に統合した時始まるんだ

「本当の戦士」の世界が


「許す心だけがお前を救ってくれる」

ヒルドとヒルドの父親

ヒルドの父親も、トルフィンがトールズに教えられていたように先に答えを教えてくれていたんだよね

このセリフは現実世界の課題だ

前回ルールの定義を投稿したけれど、本当に誰もが色んなシーンで自分自身を許さずにいると思う

リーディングで「ブロック(※1)を外す時、言葉の定義を見直すとやっぱり何かを「許さないルール」から「許すルール」に変えることが要になる

テーマになっている「暴力」とは「報復合戦が終わらない暴力の世界」と言うものなんだろう
主要人物たちが「復讐」は必要だと「暴力」を正当化しようとしてたよね

自分だってその立場になって肉身が殺されたらきっと復讐したいと思うのかも知れない

そしてその一方で逆の立場にもなって、取り返しがつかない罪を背負うトルフィンにも共感できる

トルフィンを一瞬だけど、殺そうとしたこともあったよね

「心を改めるのって簡単じゃないよな」と、トルフィンの辛さをわかってくれるエイナルと、監視を続けるヒルドの「許したい思い」に触れるたびに私は心を打たれて号泣していた(今もウルウルしてるし・・・)


私にもヒルドのような存在が、私の家族の中にもいる

その家族を通して私自身が、私を監視しているんだと思う

(※1)ブロックとは
会話や景色、現実の中で心に引っかかる何か・・・潜在意識に隠れた負の観念
正確には経験や教えの中で誤解が生じて作られた固定概念
その概念を書き換えることで心の引っかかりが消えるもの
リーディング心理学


番外編

指輪を盗んだ罪悪感に苦しんでいた少女が

「復讐編」の中で、全滅させられる村の中で唯一生き残った娘が、村人を殺されるシーンで「心の解放」が起きるところが印象的だった

私たちって、「知らない」ということで都合のいいルールを持ってしまって苦しむんだね

神が取引なんてするわけが無いのに、善悪で縛る教えに閉ざされて、教えが返って苦しみになってしまったその娘が、神の教えをいとも簡単に破るヴァイキング達をみて解放される姿は私も気持ちが晴れる気がした

人殺しは悪いことなんだけれど、善悪に閉ざされる苦しみから救ってくれるものならば、100%悪とは言い難くなる

全てが自然の中であるなら、人が死ぬことも自然現象なんだ

だからそれに至る全てが自然現象

ということは「殺人さえ」なんだ

「ヴィンランドサガ」は、「許し」というものも考えさせられる

「被害者と加害者それぞれが自身と相手や社会を許す」ということも・・・

これらが理解できれば、この物語がさらに深く感動するものになると思う




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