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間違った「自立」を子供に強制していた話の、つづき
Aloha🤙
できた気になって満足することで歩みを止めようとする自我と真心の違いがわからなくなる機能障害をおこしていた“ことだま”です。
なぜかと言うと・・・
「愛を探し求めることが生きること」だと愛のない世界を創りつづけていたから。
全ては私が今創り出している夢なのだ。
1.リーディングのやり直し
今世、ようやく真心の人々を受け入れ始めることができたのは、散々な目に遭ったからとも言える。
だからこそ手を差し伸べてくれる愛の人(師匠)の手を取ることができた。
しかし、私が愛に目覚めるにはまだ言葉の定義の誤りが多く存在している。
実は「毒親改心劇」という有料記事を出したところ、師匠がすぐにそれを購入してくれてコメントをしてくれた。
コメントの内容は公開されているので読んでもらえるとわかるが、この有料記事の中で引用した「間違った「自立」を子供に強制していた話」という「自立」の言葉の定義について書いた私の記事についてだった。
毒親と自称できるようになった側の『自立』とは」という価値観や概念と解釈、定義の beforeの内容を隅々まで開示することとそのように仕向けた因果を紐解くことが必要だというアドバイスで、有料記事の価値を読者が得られるように改める方法を教えてくれるものだった。
私は自分の視点のみで判断してしまって満足していたのだ。
と言うわけで、今回の記事は「“自立”の言葉の定義のビフォー」のリーディングをやり直して、自分以外の眼差しで精査をした。
と言ってもそれも私自身の判断であるので、間違うつもりはないが見誤ったり偏ることがあれば随時リーディングして改めていこうと思う。
2.「自立」とは(ビフォー)
今回は[受・想・行・識・色]と言う五蘊を利用して家族6人の目線でリーディングしてみた。
父受 定職について病むことなく元気であること。挑戦や非常識なことは一切せずに誰から見ても将来の不安がない姿。
父想 家長と同じ価値観に従い同じ道を歩み、親とも他人とも距離を置いて上手くやれるようになること。
父行 親からの恩恵を当たり前と思わず、自分のような者を産んで育ててくれたことを有難いと感謝して一生をかけてその恩を返すもの。
父織 いつでも親を立て、自分が親に救われても決して親を救うような傲慢なことはしないように子としての立場をわきまえること。
父色 親の教えも負債も責任も、全てを引き継ぎ背負うことが子としての義務とした姿
母受 親の言うことを守り、心配や煩わしさをかけ無いよう気を使えるもの。
母想 親に対して従順であり、常に親を助けながら、自分の考えなど持たずに誰にも好かれるように振る舞うこと。
母行 親という目上の人に従順であり闇雲でも感謝することでいつか幸せになると信じて、身を粉にして働くこと。
母織 親元を離れてもいつでも親を頼ることで親を上に立たせ、親を神として崇め続けるもの
母色 親がいなければ生きていけない姿であり続けることで親に恩を返すもの
兄受 自ら汗水垂らして働いて、親兄弟や家族みんなを支え、安心させる姿。
兄想 自らの意思ではなく、親や環境に急かされて自立せざるを得ないもの。
兄行 自分の気持ちが他人にわかってもらえるなどと甘えたことは考えずにただ、みんなを見返すためにだけ働き生きること。
兄織 全ての人を敵に回しながら、仲良くするそぶりを見せて心の内では殺意を抱くもの。
兄色 誰にも頼らず、自分の身は自分で守り、自分の問題は自分で解決すること。
姉受 親の愛を得るために親の期待を裏切らないように、気をつけながら生きるもの。
姉想 愛される条件を満たすためにいつも親が喜ぶことだけに気を配るもの。
姉行 親と同じ思考と行動を持って愛され続ける子供を演じ続けられること。
姉織 親に従うことで自分を育ててくれた苦労を労い、どこまでも親を支えるために生きること。
姉色 育ててもらった恩返しを一生の義務とするもの。
妹受 可愛がられる姿を変えないように、できる姿を見せないことで家族を安心させるもの。
妹想 誰にも邪魔をせれないように、誰にも相談せずに水面下で準備を進めて自分の想いを自分で叶えて行くもの。
妹行 誰よりも大人になって、家族それぞれの言い分を聞く役目に徹するもの。それに見合う器を持つもの。
妹織 家族に従順で迷惑をかけず、注目を集め無いように、本来の姿を隠すもの。
妹色 親の邪魔をせず、自分のことは自分で完結できるもの。
弟受 罪悪感を踏み台にして親や社会に従順になることで戒めを科し、償う生き方をするもの
弟想 弱い姿でいることで親を立てて親を癒すペットになること。
弟行 自分のことより親を優先して親を楽にさせることで「良い子」を遂行して自分の存在価値を生み出すもの。
弟織 他人に迷惑をかけないように、他人に頼らず自分の全てに自分が責任を持ち、潰れることで楽になろうとする絶望した姿。
弟色 自分が犠牲になることで家族が犠牲になることを避けるもの。
3.私の価値観を超えて
如何だろうか?
これが私の「自立」の定義のビフォー。
確かに私は、納得できない気持ちから時には抗いながらも、このように生きてきた。
苦しかった。
だから自分の子供にはもっとのびのびと自由に生きてほしかった。
なのに、我が子にも同じような価値観で、罪悪感でコントロールするやり方で育ててきてしまった。
今子供たちを生き辛くさせている原因を私が作っていたのだ・・・
「それしか知らなかった」という言い訳もできるが、子供たちからしたら「あなたが子供の頃に、親とぶつかってでも自分で解決しようとしなかっただけでしょ?」と突っ込まれている。
確かにそうだ。
親の価値観をぶち壊す覚悟が足りなかった。こうなってから、しかも子供に言われてから理解するなんてね・・・
それは“感謝”という言葉で“自分が産まれてきたことで親に負担を負わせている後ろめたさ”を植え付けてきた因果であり、その始まりは子に自分の地位や尊厳を超えさせたくなかった過去世の私のプライドだったのだ。
「次の世代に譲る」ことがまるで負けて腑抜けになれていることだと考え、みんなから蔑まされる恐れから家長がいつまでも家長としての尊厳を破られない仕組みを作ったのだった。
勝ち負けで命が取られてしまう時代で、その地位を守ることで家族を守ることを私は家族も敵にしていたのだった。
「自分の身は自分で守る」という言葉が「孤立することを自立とした」概念になったのだ。
真因は言葉や物事を「見たまま」解釈したことだ。
「自分の身は自分で守る」と言うのは、もしかしたら誰かが助けてくれるまでの間だったかも知れないし、自分一人で守るのではなく自分の身体をコントロールできるのは自分しかいないよということを言ったのかも知れない。
しかも自分というのも自分一人で生まれたわけではなく母という母体と母の力がなければ産まれてこなかったわけで、赤子など一人では命は1日と持たない。
しかも自分という身体には幾つもの細菌が住んで初めて保てるものであるし、意識の繋がりまで見透すなら全ての人や自然や宇宙さえ繋がっているのだから、一人の力など無いに等しいのだ。
それは「見たままだけしか見なかった」ことをやりたかったとも言える。
それ以外の視点を持つことを恐れたのだ。
恐れたのは変化を拒む自我。
学ぶべきものは、自我で生きる限り苦しみから抜け出せず家族が道連れになると言うこと。
「自我で生きる」ことは不自然なのだ。
それを知るためにどれほど間違いを犯してきたのだろう。
しかし我が子は私の価値観を超えて、私を救い出そうとしてくれていたのだった。
3. 「自立」とは(アフター)
男性性
受 現実に映し出す因果を読み解き全てを解説して紐解く姿
想 知らないことを知るまで探究し内も外もなく全ての解答を公にする姿
行 自らを疑うことで純粋性を高めて世界を見透す姿
識 あなたを私と扱い全身全霊で向き合う姿
色 与えることと受け取ることが一つになり、みんなの願いを叶えることに歓喜する姿
女性性
受 全方位に気を巡らせ、あなたと私の心を一つにして応える姿
想 愛そのものとして身体と心を一つにして動ける姿。
行 苦しみを喜びに変え、誰もを支え配る姿。
識 その時々で求めに応じて自在に変容できる姿。
色 関わる人全てに喜びと安らぎを与えられる姿
統合
受 始まりと終わりを一つにして因果を無に還す姿。
想 私を無くして自然と一体で生きる愛そのもの。
行 変化の中心点として世界を動かす喜びで生きる姿。
識 歓喜に目覚めた光の存在。
色 全部を現した姿。個であり真空の光が映し出す陰陽が織りなす世界そのもの。
4.自立する
新しく生み出した「自立」の定義は如何だろうか?
私自身は「遠く及ばない」と若干尻込みしている。
でも、私と共に子供らにも与えたいものだし、既にそうであるとして関わりたいと思った。
リーディングのやり方は、これまで学んだ“アマテラスリーディング講座”を思い出して意識を高めてやってみた。
この調子で、「仕事」「謙虚」「素直」の各定義も出して投稿する予定。
亀の歩みの如くスローだけど、どうかお付き合い下さい。
そして一緒に現(うつつ)から目覚めましょう。
2024.6.6
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