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ショートショート 「とりあえずやってみる精神」

「ねえ、父さん」
「なんだ?」
「ボクさぁ、将来シンガーソングライターになりたいんだ」
「なれば?」
「いや…。あのね、高校を卒業したら音楽の専門学校に行きたいんだよ」
「行かなくていい」
「なんで?」
「スマホ買ってやったろ」
「…それがどうかしたの?」
「ネットで勉強しろよ。音楽制作関連のブログや動画コンテンツを片っ端から当たれ。音楽理論も作曲技法も録音の仕方も全部タダで学べるはずだ」
「…」
「つーか、とりあえずやってみろよ」
「なにを…」
「作曲に決まってんだろ」
「出来ないよ」
「どうして?」
「作り方が分からない」
「じゃあ教えてやる。歌詞を書いてそいつにメロディーを付けろ。さあやれ」
「...」

息子は言葉を失い、ガックリと肩を落とした。
専門学校への進学を口実に親のカネで上京するつもりだったのだ。
しかしこの日はここで引き下がり、後日出方を変えて掛け合うことにした。

「ねえ、父さん」
「なんだ?」
「ボクさぁ、将来映画監督になりたいんだ」
「は? …おめー、シンガーソングライターになるんじゃなかったのか?」
「そうだよ。でも父さんの言う通り音楽は独学で学ぶことにして、それと同時に映画監督を志すことにしたんだ。夢がふたつあってもいいでしょ?」
「まあ別にいいんじゃね…。ちょっくら飲みに行って来るわ」
「ちょっと待ってよ」
「なんだよ?」
「あのね、怒んないで聞いて欲しいんだけど…」
「映画の専門学校なんぞに行く必要はねえぞ」
「むむ…」
「おーい、母ちゃん。飲みに行って来るわ〜」
「ちょっと待ってってば。父さんは映画監督になるための勉強も独学でやれって言うの?」
「そうだ」
「ウソでしょ…?」
「嘘じゃねーよ。映画制作関連のブログや動画コンテンツを当たれば、脚本の書き方も撮影技術も演出術もタダで学べるはずだ。つーか、とりあえずやってみろよ」
「映画制作を?」
「ああ」
「いくらなんでもひとりで映画を作るのは無理でしょ…」
「んなこたぁねーよ。役者やスタッフはSNSで募集して、費用はクラファンで調達すればいい。人に頭を下げるのも立派な社会勉強だ。人間その気になりゃなんだって出来るんだよ。実際、全編スマホで撮影した映画もあるらしいからな。夏休みに俺の現場仕事を手伝え。駄賃代わりに動画編集アプリを買ってやってもいい」
「いやいや。独学じゃ無理だって」
「じゃあ諦めろ」
「…」

父は煙草に火をつけて一服し、声のトーンを一段落として言った。

「なあ息子よ」
「…なに?」
「おめーには『とりあえずやってみる精神』ってもんがねーのか?」
「とりあえず…やってみる精神?」
「ああ。読んで字のごとく、なんでもとりあえずやってみようって精神のことをそう言うんだ。そいつがなけりゃ、なんにも始まらねえんだよ。本当にやる気があんのなら『父ちゃん。オレ、スマホで短編映画を撮ったんだ。これがなかなかの出来でさ、地方の映画祭で賞を獲ったんだぜ。でもよ、もっといいものが作りてえから学校行かせてくんねえかな? 将来アカデミー賞を獲って父ちゃんと母ちゃんにラクをさせてやりてえんだ…』みてえな、そういう話の持って来方をするはずだ。熱意を形にして一定の成果を挙げ、それからプレゼンするんだよ。おめーにはそういう気概がねえ。ガッツを見せろ」
「言ってることは分かるけど…」
「じゃあ作れ。四の五の言ってねえで、とっとと撮りやがれってんだ。ルールなんか後から覚えりゃいいし、技術は作りながら習得すればいい。メッシやロナウドだってルールを覚える前にボールを蹴ってたはずだぞ」
「…」
「おい。返事はどうした?」
「いや…」
「なんだよ。納得行かねえってのか?」
「ううん、そうじゃない。ボクは自分が間違っていたことに気が付いたんだ。だから軽々しく返事をしたりせず、行動で示そうと思う」
「お…」
「ボクは父さんの教えをすぐに実行するよ」
「息子よ! ついに分かってくれたか?」
「うん。分かった…」

「よっ!」と返事を言い切ると同時に、息子は父の顔面に拳をめり込ませた。
父は仰向けにぶっ倒れ、鼻血が噴水みたいにピューッと噴き上がった。
意識はあったものの起き上がれずにいる。
そんな父を見下ろしながら、息子は新しい夢を語った。

「ボクさぁ、ボクサーになるよ」

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