マーケの仕事と人

突然ですが白状すると、マーケティングは道理が明らかなものが多くて、因果関係をきっちり詰めていけば、ちゃんと成果を出せるものだと思っていました。

それがどうやら間違っているかもしれないと思った昨日。

理屈もへったくれもなく、街からトイレットペーパーとティッシュが残すことなく売られてていきました。

デマで物が売れる

新型ウィルスのニュースで溢れる昨今。
トイレットペーパーやティッシュが無くなるという噂が流れたらしく、おおよそ1日で近所のあらゆるお店から、トイレットペーパーやティッシュが無くなりました。

マスクや消毒液はわかるけど、なぜトイレットペーパー???

理由を知りたくて、ネットで調べたり、人に聞いたりしましたが、結局答えがわからないまま。

因果関係がわからないとモヤモヤしてしまい、なんだか変にイライラしてしまいます。

これだけ人が動いてて、物が買われていくのだから、なにかしらの道理があるはず。
でも、何かわからない。
でも、目の前にティッシュもトイレットペーパーも、無い!

これだけ物が売れて、その理由が「デマ」でしたってそんなことある....?
モヤモヤモヤモヤしながら夕食を食べていて、妻から怒られるほど混乱しました。

人間の行動は枠にはまらない

人の行動ほど、枠にはまらないんだと気づかせてくれたのも妻でした。

「人間感情で動くからね」

「誰かがなにかを間違えて言ってしまって、それを聞いた人が焦って行動に出たしまった結果がこれだったんじゃない?」

そっか。人だもんね。

言われてみたら至極あたり前なのですが、いわゆるマーケティングの購買プロセスで頭が固まっていた私は、そこに至りませんでした。

人が動く時に、“これじゃないといけない”なんて決まった理由なんて存在しないし、机上で学んだそれらしい定型があったとしても、それに縛られていたら、人の気持ちがわからなくなってしまう。

自分はどちらかというと、勉強していろんなことを体系立てて知ろうとするほうですが、実は自分が学んで手にしたことから外れているいろんなことを、見逃したり、無視してきたのかもしれないなと反省しました。

道理や知識は標でしかない。だからマーケは面白い。

よく語られる人の道理や、社会学、そして、マーケティングのフレームワークのようなもは、ひとつの標でしかなく、それが人の動く理由になるわけではないんですね。
人の活動のうち、人が思考して動いたその全体像を、俯瞰して語られたものでしかないのだと思います。

人の活動を知ろうと思ったら、そのひとつひとつの事象の当事者として、そこに立ち会わなければならない。

その時に、何を感じてどう動いたのかが全てであって、それらを集めて整理して名前をつけたものが、道理や知識なんだろうなと思うのです。

だからこそ、そういった不確かで人間らしいものを追いかける、マーケという仕事は素敵だなと思うのです。
人の行動や生活のひとつひとつを見つめる仕事。
あたたかみがあって、理想があって、なかなかそれに及ばない想いを噛み締めて。いかにも人間らしい仕事だなと、複雑な思いが湧いてくるのでした。

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