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仕事をしないことが仕事

ぼくが今勤めている施設は地域密着型通所介護、定員18人以下のデイサービスだ。

お風呂が2つ、トイレが三箇所、大きめの3LDKといったところか。キッチンは一般家庭と一緒だし、風呂もリフトが付いていることだけが違うだけで一般家庭の浴室とほぼ同じ。洗濯機、冷蔵庫、テレビなんかも一般的な家電製品だ。その実家のようなアットホーム感が、地域密着型のいいところと言える。
介護施設に行くというより、知り合いの家に遊びにいくような、娘・息子の家にお呼ばれするような感覚、近所の喫茶店に寄っていくような、近い距離感の施設という感じだろうか。

ゆえに利用者さんも「そこで生活を営む生活者」としてデイサービスの運営に協力してもらうことがある。

たとえば、洗濯物を干すこと。入浴に使ったタオルは洗濯機で洗うまでは職員が行うが、干すこと・畳むことは利用者さんにやってもらうようにしている。
フロアの掃除機とモップがけも担当が決まっていて、昼食の味噌汁づくりや盛り付け・配膳も手伝ってもらう。おやつ準備もお願いしている。
お風呂掃除はさすがに転倒のリスクや洋服が水で濡れてしまうので職員がやるが、利用者さんに頼めそうなことはお願いしていることが多い。

「職員が仕事をしないこと」職員の仕事だっりする。
もちろん見守りをすることや一緒に作業をすることが見守りであり自立支援であるという考え方に基づいての行動だ。決して職員が楽しようとしているわけではない。
いや、見守るほうが何倍も神経を使うし、自分がやってしまった方が楽なのだ。利用者さんはそれぞれに病気や怪我、認知症などの事情があるから。忍耐力という体力とは種類の違う力を使って仕事をしている。

人は本能的に「誰かの役に立ちたい」という欲求がプログラム(日本だけかな?)されていて、作業や仕事を通じて自己の尊厳を保っていることがある。もちろん手を動かし足を動かせばリハビリにも機能維持にも一役買うわけだから。
だから「わざと仕事を残しておく・余計な仕事をつくる」ことが介護職員としては必要なスキルだったりすると思う。

ぼくは芸人をしているとき、同期の芸人と4人暮らしをしていた。同居人の一人は全く部屋の掃除ができないタイプの奴で、タバコの吸い殻は山盛り、布団のしたは砂があり(なんで砂入ってくるのかな?)使いかけのティッシュは散乱しビールの缶は捨てない。
「部屋片付けてやるからタバコ5本くれ」と言って、そいつの部屋をよく部屋を掃除していた。
おこがましい話だが、高齢者の方には目に見えない「心の報酬」を受け取ってもらている。ぼくらは感謝の言葉を存分に添える。

トイレがひどく汚れていた。便座に浅く座ってしまったためだろう。便器の下、床が湖と化していたし、茶色い泥のようなものも便器についてしまっている。その惨劇に気づかず、その人はそのトイレを後にしたようだ。
そして次の人利用者さんがトイレに入る。次に入った利用者さんは、とんでもない量のトイレットペーパーを巻取り床を拭いていた。ぼくはそのタイミングで見かけて、素手でトイレを掃除しているその方の手をとっさに素手で掴む。ぼくの頭に「諦め」が通過した。

「そのままでいいですよ!ぼくがあとはやりますから。すみませんねぇ」と言いながら、掴んだその手は離さない。被害を拡大させてはならない。ぼくが受け止めよう。ビニール手袋に一旦別れを告げて、ぼくは利用者さんと手を洗いにいった。

なんでもお願いしている弊害があるとすれば、トイレ掃除は任せてはいけない。(さすがにトイレは職員が100パーセントやっています)

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。