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視界から消していく

テーブルの上にある、目の前にあるモノが気になって仕方がない。

「なんやコレ?」
「白くて四角いなぁ」
「弾力があるなぁ」

人差し指と親指で、それを掴む。

「うまそうやんけ」
「ちょっと食べてみるか」

あかん!あかん!あかん!
あかーーーん!

消しゴムやって!それ!

これは、その人の目の前に「消しゴム」を置いてしまっていた、ぼくら介護職員の過失。その人は悪くない。

認知症の人には、どのように見えているのだろう。
美味しそうに見えてしまっているのか。消しゴムだけじゃなくて、丸まったティッシュも手にとっては口に入れてしまう。もちろん病状の進行の度合いにもよるが、このケースは重度の方。言語によるコミュニケーションを取ることが難しい方。

目の前のモノがなんなのか。口に入れて確かめようとする習性。いや本能というべきか。食べるという行為は、生きる上で最も重要だと再認識させられる。

認知症の方は、いろんなモノが気になる。

たとえば、入浴介助のとき。

利用者さんの着脱を手伝う。
その人の脱いだ服をカゴに入れていく。その人は、その脱いだ衣類がなんなのか気になって脱いだ衣類を手にとってしまい、次の行動に移れなくなることがある。

「脱ぎ終わった服は洗濯するので、そのカゴの中でいいですよ」

そう伝えて、手に持っている脱ぎ終わった衣類から手を離してもらう。すると今度は足元のバスマットに意識が向いてしまい、バスマットを手にとってしまう。

モノを手から離してからまた、次のモノに意識が向いてしまい、また手を離してもらう。この繰り返しで一向に着脱が終わらないこともある。ドリフのコントか?これ。

対応としては、意識や注意を向けさせないため、その人の視界からモノの選択肢をどんどん排除していく。要するに視界に入らない場所へと置き場所を変えるのだ。隠して意地悪をしているわけではない。プリンセス天功ばりに、後でテッテレーする。
目的はひとつのことに集中できるように、その時だけ選択肢を絞っているだけなのだ。

恋も仕事も勉強も。どれも頑張ろうと同じ熱量で努力しても、何ひとつ成果が得られない。これと同じこと。

これが正解の介助方法かはわからないが、現時点でそうするしか前に進めないし、入浴介助が終わらないわけである。日が暮れるまで楽しく付き合う自信はある。

うーむ。果たして認知症の方に、ぼくはどう映っているのだろうか。
自分の親が認知症になったら、自分はどう映るのだろうか。

認知症の方が、量子力学的な概念で波動を感じられるとしたら。

ぼくはどんな波動とオーラを纏っているのだろう。
ええオーラかな。どうでっかー、美輪明宏はーん。

目の前の人に、お前が誰だかわからないけど「なんかこいつ嫌だな」と思われないように、慎ましく、穏やかに、過ごして生きていきたいと思うのであります。

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。