見出し画像

0点です。

半分に膨らませたビーチボールの上に、お手玉を乗せる。それを机の上に置く。

正面に位置したその人は、両手で勢いよくビーチボールの側面をバァーンと叩く。その人は、人間の鼓膜が破れるくらいに強くビーチボールを叩いた。
するとビーチボールの上に乗っていたお手玉は垂直に天高く舞い上がり、頂点に達したあと、その人の頭の上に隕石のごとく落下した。

0点です。

1/5のチャンスは、あっけなく終了。ギャラリーの笑い声だけが加点される。

ビーチバレーでお手玉を飛ばすレクリエーション、通称「お手玉バズーカ」。飛ばしたお手玉が、100点・50点・30点・10点、それぞれの洗濯カゴ入ったら加点される。入らなければ0点。全部で5球飛ばしてもらう。

お手玉バズーカ

あるおじいちゃんは、お手玉バズーカをえらく気に入っていた。今日はデイサービスの畑で採れたちょっと卑猥な大根が景品。俄然おじいちゃんはやる気に満ち溢れていた。

おじいちゃんは、お手玉バズーカの定位置に向かう。
車椅子のスピードトイレへ向かう時よりも早い。失禁する前にそのスピードが出せたなら、間に合うこともあったのにとぼくは歯痒い思いになる。それだけお手玉バズーカはおじいちゃんを魅了してやまないのだと、どこに向けていい嫉妬なのかわからない感情にもなった。

実はお手玉バズーカは、お手玉をセットする位置が何より重要なのだ。
お手玉を後ろに置けば後ろに飛んでいくし、かといって前に起きすぎるとライナー性の軌道になり、フェンスに直撃するほどの段速で狙ったところには飛んでいかないのである。ビーチボールの叩く力はそれほど重要ではない。
「やや前め」これに気づいた人が、卑猥な大根を持って帰れるわけだ。

本来なら、本人にお手玉の位置は決めてもらう。平等・公正なルールでないと楽しめるわけがない。しかし高齢者は身体状況や認知能力が一緒なわけがない。公平を保てというのは土台無理なのだ。

さて、おじいちゃんは定位置にスタンバイ。

そのおじいちゃんはパーキンソン病だ。お手玉をきちんと置けない。そして認知もある。ゲームの理解も若干怪しい。お手玉バズーカというお手玉が勢いよく飛んでいく、派手なようで地味な現象を楽しんでいるように思える。

ぼくは「やや前め」にお手玉を置いた。
ビーチボールを叩くことだけに集中してもらおう。

「〇〇さん!一発目!お願いします!」

パワースポットの神社で柏手を打つように、大きく両手を開いた。
そして両腕は必然的に出会う運命にあった男女であるかのように近づいていく。どうだっ!何点のカゴに入るかっ!

「パン!」

徒競走の空砲のような、少し弱い破裂音がデイサービスのフロアに鳴った。

あれっ!?。。

お手玉はビーチボールの上でおじいちゃんにメンチを切っている。数秒前と違うのは一発のかすれた拍手が鳴っただけ。

んーっと。

おじいちゃんはビーチボールと自分との距離感が掴めず、ビーチボールの手前で一撃拍手をしたみたいだ。

どこに飛んでいった!みたいな顔で前方を見つめるおじいちゃんが、
とてつもなく可愛く見えた。

おじいちゃん。残念。
0点です。。

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。