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ドラクエのコマンド

ぼくは、時空の歪みにでも入ってしまったのか。
それともタイムリープしているのか。


先輩の介護士さんからは、こう聞いていた。

「自立度が高い人。なんでもご自身でやられるので、ご本人に聞きながら難しいことだけをお手伝いしてあげてくださいね。」

その方の入浴介助は初めてなので、前情報はなんでもインストールしておきたい。もちろんフェイスシートといわれる介護施設でいうカルテみたいな資料は読み込んでいた。

15年前に脳梗塞で倒れ、後遺症で左に片麻痺がある80代の男性。
室内では杖歩行だが屋外では車椅子だそうだ。右は軽快に動く。手すりを握って立位が取れる。方向転換もできるのでトイレ介助はしなくていいそうだ。

フェイスシートを読む限り「病気に負けず戦っているすごい方だなぁ。」お会いする前からそんな印象を受けた。


午前中にリビングでお見かけしたときは、室内でも車椅子を使っていた。ここのデイサービスには通いはじめたばかり。慣れない場所では車椅子なのだと、そう理解した。

となりの利用者さんと談笑している。場に馴染むのは得意な方のようだ。

少しお腹が出ているのが気になったが、車椅子生活ではどうしても運動量が落ちる。仕方のないこと。その方が特別ではない。


午前の入浴が押し、その方の入浴は午後になった。

「〇〇さん、お風呂の準備ができましたのでご案内しますね。」

「ありがとう、よろしくね。」

穏やかな表情で返事をしてくれて、ぼくは安堵した。この段階で入浴に嫌悪感がでてしまうと、後々に大きく影響がでる。
初期の入浴介助で嫌な印象を持たれてしまうと、最悪、入浴拒否になってしまうケースがあるからだ。だからとても神経を使うのだ。

ぼくは車椅子を押し、浴室まで案内した。

手すりと向かい合うように車椅子を止め、ご自身で脱衣してもらう。片手で上着や下着を脱ぐわけだ。手すりを持ち一度立ってズボンを下げ、座って脱いでいく。
本人にしたら慣れている日常行為だとしても、こちらの視点で見ればとても窮屈に見える。
手を出さないようにそっと見守ることが介護職員の勤めだと十分に理解している。けれど、お手伝いしたくなるのが心情。

上着が背中に引っかかっり、そっと服を捲り上げただけ。それだけはお手伝いさせてもらった。あとは全てご自身で行なっていただけた。
これは本当にすごいこと。
ご利用者さんの中には「脱がせてー」「履けないー」「寒いー」「暑いー」とオーダーが殺到し、こちらの厨房がパニックになる方も少なからずいるわけで。

浴室の洗面台まで車椅子で行く。洗面台の手すりを持って立ってもらう。その間にマジックイリュージョンのような速さでシャワーチェアーに差し替える。

ぼくはもう、安心しきっていた。

健側がわを洗い、背中を洗い、足先を洗い、お尻を洗う。もう入浴ビクトリーロードは見えていた。
左の口角が上がっているのがわかった。
後方に位置し、浴槽の湯の温度を調節していた。ときどき目線を配る程度でも大丈夫だろう。

その方はというと、顔を洗っている。

風呂で一番最初に洗うところは、誰にでもこだわりがある。こだわりを忘れるくらい当たり前のことして習慣化していく。

その方は、念入りに顔を洗っていた。

ぼくは、ひとりビクトリーロード。口角は左右とも上がり切った。


その方は、顔を洗う。シャワーで顔を流す。
その方は、顔を洗う。シャワーで顔を流す。
その方は、顔を洗う。シャワーで顔を流す。
その方は、顔を洗う。シャワーで顔を流す。
その方は、顔を洗う。シャワーで顔を流す。


「ドラクエの街の人との会話か!」もう、そう言わざるを得ない。

一向に、次の部位を洗おうとしない。

ぼくは、時空の歪みにでも入ってしまったのか!
それともタイムリープしているのか!

目をパチクリ!
目をパチクリ!
目をパチクリ!
目をパチクリ!
目をパチクリ!

「ドラクエのコマンドか!」

「ことぶきは、時空の歪みに入ってしまった。」これはもうパルプンテ。

これはヤバい。

即座に声をかける。

「お背中流してもいですか?」

「ありがとう。」

結果、トータル1時間くらいかかってしまった。
さすがに全体のスケジュールに影響してくる。
先輩介護士に「どうしたの?何かあった?」と心配される。


「浴室に時空の歪みがあってですね、、いや、時空の割れ目かな。どうしても避けられなかったです。」


苦い顔をした先輩は、無言でぼくの前から立ち去った。

利用者さんは、涼しい顔をしておやつを食べていた。

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。