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介護施設は社会の縮図

note、もう少しで200日連続投稿になるよ。

1日ダラダラ過ごしても、
今日の終わりにはnoteに投稿している。

まだまだ、話し足りないことはいっぱいあって、
介護以外のことも、実は話したいとおもっているのよ。

「〇〇さんがどこで過ごそうと、〇〇さんの自由なので、@@さんが言うことではないですよ」

これは、ぼくがある利用者さんに言った言葉なんだけど。

@@さんには、〇〇さんの少し不可解な行動がわかってあげられないのね。

昼食後に、利用者さんに食器拭きを手伝ってもらうんだけどね、@@さんは手際よくお皿を拭いていくわけ。
でも〇〇さんは、同じお皿を何度も拭いたり拭いたお皿を水気のついた食器に重ねたり、うまくできないわけね。

なんで〇〇さんに食器拭きしてもらってるの?っていうなら、それが生活リハビリだから。できるできないじゃなく、やるかやらないかの方が重要なわけね。ぼくらの仕事は見守りだから。

ただ、@@さんは〇〇さんの身体状況や認知レベルを理解できないのよ。もうね、これは仕方のないこと。理解してね、わかってあげてねって言うことも違うと思う。

けれど、人にとやかく言って自由を奪ったり選択や決定を他人がしてしまうことは違うと思っていて。

介護施設もさ、社会の縮図なわけよ。表現は適切ではないけかもしれないけど、強いものと弱いものがいて、けっして弱いものに優しい社会とは限らないわけ。そういった軋轢が生まれないように介護職員は配慮するんだけど、何から何まで仲裁にはいることも、それはそれで不自然じゃない?
もちろん、人員の兼ね合いで全てを把握して調整することも難しいのね。

これは、介護職員に関してもそうでさ。

ぼくもふとすると。できる・できないの物差しで人を見ているときがあってさ。ひとは持ってるものがそれぞれ違うわけで。

自分を嫌いになってひどく落ち込むこともあるんだよね。

今日ニュース見てたら「カスハラ」なんて言葉が耳に入ってきた。お客様は神様、みたいなこと(ちょっとちがうかな?)だと思うんだけど、

申し訳ないけれど、高齢者だからって無条件で優しく接しなくちゃいけない存在かって言われると、ぼくはそうは思わないわけ。弱さを盾に強さを誇示することだってできるから。

だめなものはだめで。人間性はまた別の問題でしょうよ。

だから、ぼくははっきり言うのよ。

「〇〇さんがどこで過ごそうと、〇〇さんの自由なので、@@さんが言うことではないですよ」って。

こんなもんでクレームこようもんなら。思いっきり言い返すし。ぼくは。
もちろん冷静に柔らかくだけれども。きちんと第三者にも判断してもらう。

上司にチクチク言われようもんなら「やかましいわっ!」って睨みつけてやるけどね。

女性職員にセクハラしようとするおじいちゃん。怒られたって仕方ないよ。それは、介護施設とか疾患とか、どうこうの問題ではない。
けれど介護職職員の方も誘発しない工夫や未然に防ぐアイデアを考える必要があると思う。

とはいえね。相手の痛みや寂しさ、苦しみや悲しみをわかってあげようとする姿勢は大事だよ。それはそうでしょ。

社会の縮図かもしれないけど、
その社会は自分たちで作っていける社会だからさ。

仲良くしようよ。みんなさ。

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。