見えないものと見えるもの
椅子はいつもの位置に。
脱いだ衣類を入れるカゴには、チャックを閉めたままのカバンを置いておく。ただしタオルは一枚抜いて先に、浴室の手すりに掛けておく。
浴室は熱がこもるので換気のためにファンを回す。大概の寒いと言われるのだが、この方は暑がりなのだ。
おっといけない。洗い場の蛇口はお湯にしとかなくては。固形石鹸も手の届く位置に。よし、準備は万全だ。
全盲の方だ。毎回同じ環境にしておかなくては困惑させてしまう。
逆を言えば、準備だけしっかりしておけば何も手伝うことはない。手を貸してくれなくても大丈夫だという。溶け込んだ日常になってしまっているが、毎回、驚かされる。ぼくは傍で見守るだけ。
「どのくらい見えるんですか?」
何も知らない無垢な子供のように質問してみた。固形石鹸で頭を洗いながらその人は応えてくれた。
「まったく見えんよ」
「どうして場所がわかるんですか」
「見えていた時の記憶、匂い、風を切る音でね。怖いよ。あなた目を閉じてみて。そこから動ける?」
ぼくは目を閉じてみた。足がすくむ。ましてや浴室だ。
「そこにいるとシャワーがかかるから、出ておいていいよ」
後ろにも目がついているのか。ぼくを気遣ってくれた。
見えなくなって見えるようになったのか。
もともと目に見えないものが見える方だったのか。
ぼくは少し立つ位置を変え、その人の背中を見ていた。
介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。