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夕暮れ時、見覚えのある後ろ姿に出会う

夕暮れ時、僕は近所の神社までランニングに出かける。
自宅近辺を一周、大体3キロくらいのコースをゆっくりと走る。介護職は基本的には肉体労働。僕の足腰の筋力が弱いと、とっさの時に体重のある高齢者を支えられないとか何とか。

ランニングが終盤にさしかかったころ、前方に見覚えのある後ろ姿を見かけた。夕焼けが終わり闇夜が近づいていた。

小柄で白髪のおばあさん。ナップサックを小脇に抱え込み、前方を歩く。足元はフラフラとして危なっかしい。僕の記憶と一致したのは服装だった。
高齢者の服装は多くて3パターンくらいしかない。おばあさんと長く接している中で僕の無意識は服装のパターンを覚えていた。その瞬間、デイサービスの利用者さんだと確信した。

走るスピードあげ回り込んで顔を確認する。案の定その人だった。

どこかを目指して歩いているようには見えない。ただ一心不乱に歩いている。本人は、歩いていればどこかに辿り着くと思っている。おそらくそうだろう。
そう思うのは、僕がその人が認知症だと知っているからだ。
しかし夏場だ。もう夕闇だ。流石に見過ごすわけにはいかなかった。

僕は声をかけた。「〇〇さん、〇〇の職員の〇〇と申します。覚えてますかね?」不審者だと思われないように細心の注意を払う。

おばあさんは、目を丸くしていた。僕が誰だか分からないようだ。

施設ではトイレも付き添っている。お風呂も介助している。長い時間を一緒に過ごしている。

「あー、〇〇さんところの方ね」「今からね、娘のところに行こうと思ってね」

「暗いから今日はお家に戻ったら?明日ではダメなのかな?」

「今日ね、娘に行くって言ってあるから」「多分娘の家はこの辺だったと思ったんだけど、、」

どうやら引き返すのは難しい。そして道が分からなくなってしまっていたようだ。
認知症になっても習慣として記憶していることはそう簡単に忘れない。しかし、夜になると街の景色は変わり空間の認識が難しくなる。
実は以前、夜に出かけて自宅に帰れなくなったことがある。警察を数回、出動させたことがある人だ。徘徊と言われてしまっていた。

僕は暗がりのなか付き添い、街頭の明かりに照らされながら娘さんの自宅を一緒に探した。僕は娘さんの家も本人の家も知らない。おばあさんの記憶が頼りだ。だめだ、最悪、誰かに助けてもらうことにしよう。

脇道を何度も入り直し、なんとか娘さん宅にたどり着いた。おばあさんは用事を済ませ帰路につくようだ。僕は木陰からそっと見守っていた。
一人暮らしの家まで一緒にトボトボと歩いた。無事に帰宅できてよかった。

いつも20分で終わるランニングはその日、1時間を超えていた。

翌日、そのおばあさんはデイサービスの利用日だった。僕は昨日の出来事をそれとなく聞いてみた。

全く覚えていなかった。
夜、出歩いたことも、僕に声を掛けられたことも。

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。