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開幕、前蹴りが飛んできた。

前蹴りが飛んできた。

これでも学生時代はハンドボール部に所属していた体育会系出身。ディフェンスを抜き去るためには近づき過ぎてもダメで、遠過ぎたら今度はフェイントが効かない。
その人に合わせた適切な距離を保ちながら声掛けする。これが無意識のうちにできているのは、もしかしたらハンドボールをしていたおかげか。

ぼくは前蹴りをバックステップでかわし、距離を取り直して様子を見る。

深いソファに腰掛けたその人は、眉間に皺を寄せている。この頃、明らかに精神状態に変化が見られる。というか前蹴りをする人ではなかった。

原因はなんとなく掴めている。
デイサービスに週5で通いしかも3箇所を渡り歩いているものだから、環境や人が変わり過ぎてパニックになっているのだろう。
察することはできても、ぼくはただの実行犯であって計画を立てているのは別の組織。なのでぼくにできることは目の前のことに最善を尽くすことくらいしかない。
たとえば仕事でダブルワークするだけでも疲れるのに、その人にとってはトリプルでしかも自分の意思とは関係なく強制的に配置換え、転勤・転職のようなこと。怒って当然。前蹴りぐらい出る。ぼくだったら怒り狂って椅子を放り投げたり人に詰め寄っていったりするかもしれない。
だけど「前蹴りくらいしゃーないなぁ」と、前蹴りを喰らうわけにはいかない。蹴らせない・蹴られないことが大事だ。

さて、ぼくがその人の前に現れたのは、今からその人をお風呂へ案内するためだ。否が応でも緊張感が張り詰める。5月の陽気からくる発汗ではなく、恐怖に似た緊迫感が源泉の冷や汗。
一度時間をおいて出直したいところだが午前中はあと30分しかない。入浴介助がスムーズにいかなければ昼食に食い込むし午後の段取りに影響する。決心して、また近づく。
正面は避けるようにして近づく。対面ポジションは危険なのと、相手に圧迫感を与えるので横から声をかける。男同士、連れションに誘うような感じで「お風呂行きませんか?いい湯加減にしておきました」と声をかける。
眉間の皺はさっきより浅くなっていた。自分の前蹴りを見て我に返ったのかもしれない。ただ、ぼくの問いかけには応えることはない。その人は認知症があり失語している。

失語しているからといって、声掛けをしないでいいということにはならない。むしろ根気よく声掛けやジェスチャー、動作や表情を交えて大袈裟にやらなくては伝わらない。決して介助者の都合で行動を無理強いしたり、力ずくでしたりしてはいけない。たとえそれで入浴ができたとしても相手には嫌な感情しか残らず、その後の入浴介助・介助全般に悪影響が出て自分たちの首を絞めるだけになる。介護はその場だけでなく続いていくもの、繋げていくものだとぼくは考えている。

ソファーに座っているその方の手を取り、ぼくも横で中腰になり「立ちましょうか」と言いながら、脇の下に腕を入れ上に持ち上げるようにして、自分も一緒になって立ち上がる動作をする。その人にぼくと同じ動作を真似してもらうことで、ソファーから体を離すことに成功した。軽く手を引きながら浴室へ案内する。その後はいつも通り入浴できた。よかった。

たった10分足らずの出来事だが、頭の中ではいろんな思考が駆け巡る。いつも最善の方法を模索している。

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。