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排泄の失敗を防いで記録より記憶に残る介護をしたい

ぼくは1日に何回トイレに行っているのか。

排泄は意識的な行動であり無意識の衝動であり、回数なんかいちいち数えていない。

デイサービスに来ている利用者さんは、介護職員によって排泄の回数を記録されている。排尿だったのか排便だったのか。量はどのくらいか、硬さはどうか。記録の目的は健康管理と排泄のタイミングを見極めるためだが、よくよく考えると「流さないで、そのままにしておいてください」と言ったり言われたりするのはやっぱり違和感がある。
年齢を重ねたら「まぁ減るもんでもないし」って思えるのだろうか。いやそんなことあるわけない。見せたくないし見たくないっていうことが当たり前。当たり前の前提を忘れていくことが、ベテランという言葉に置き換わっていないだろうか。
バナナで例えるのもどうだろう。バナナって大きさ違う。「直径2センチ、15センチの硬め」とかでよくないか?ぼくの頭の中にあるバナナはモンキーバナナだけどな。

席を立つたびに「お手洗いですか?」と半ば行動を決めつけられるように声をかけられる。それにも違和感がある。ただフラフラしたいだけの時もある。
「お手洗いですか?」の声掛けは「どこいくんですか?」と同じ意味で、ひいては「勝手に席を立たないでください」とも同じ意味を持つ。「顔の怖さ、眉間の皺の数で意味が変わってきますのでご理解ください」ってか。
今、自分が発した言葉にはどんな真意が込められているか。自問自答して接しなければぼくはベテランになってしまう。ぼくはベテランになりたくない。

午前中に1回、
お昼ご飯の後に1回、
14時ごろ1回、
帰る間際に1回。

デイサービスでのトイレ介助のタイミング。これはその方の排泄のタイミングではなく、あくまで介助者側のリハパンやパッドの交換のタイミングが優先されていると思う。
認知症があって全介助の方の場合だが、正直この4回が業務の都合などで行けない場合もある。
じゃあ、なんのために記録をつけているのか。本来、排泄の失敗を防ぐために記録をつけているはずなのに。電池の交換時期みたいにとりあえずの対応になってしまっている。

理想通りにはいかないが、ぼくは記録より記憶に残る介護をしたい。

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。