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介護技術をブチ上げていくには
梅雨が明けたそうね。
「暑いねぇ〜。外出るのも嫌よねぇ〜。」
いや、わかってるって。ぼくも知ってるし。
「暑いから、しっかりお水飲もうね!」
うん、それならわかる。その話は聞ける。
なんやろ、ぼくは暑さでイライラしてるのかな。
さて、
「〇〇さん、飲み込みの力が弱くて誤嚥のリスクがあって介助が怖いです。それに食事のときの細かい要望が多くて対応が難しいです。」
たしかに怖いし難しいっす。
怖いし難しいからこそ「じゃあ、どうしたら適切で心地いい介助ができますか?」ってことなんじゃないかな。
人は事実の受け取り方次第で、結論を自分の都合のいいように変えてしまう生き物だと思う。
怖いし難しいから、やめとこか。
なのか、
怖いし難しいから、方法を検討しようか。なのか。
絶望の道を引き返すのか、
希望の道へ歩んでいくのか。
下山しても足腰に負担はかかる。
けれど登山したらその先には眩いほどの太陽が待っていてくれることもあるじゃないか。
どっちの道を進むのか、
その岐路に立たされた時、
ぼくは自分の感情に問いかけるし、事実をどう受け止めているかを冷静に見極め、心の思うままにしたいのよ。マイウェイ。
さて、道で犬のうんこを踏んだ時、
「おいおい飼い主さん。公共のマナーを守れないなら、ひとまず家でトイレ済ませてから散歩しようぜ!」
と、思うのか。
「散歩が嬉しすぎて犬がダッシュしながらうんちしてしまったから、飼い主さんもうんちしてることに気づかなかったのかな。踏んだぼくが家に持って帰るよ」
と、喜劇にしてしまうのか。
ぼくはこの精神が、介護技術を上達させる上で大事だと思っているのだよね。
例えが悪いな。クソ悪い。
変な切り取り方されたら炎上するパターンのやつや。
ぼくが言いたいのはね、目の前の事実に対して光を見出す目線や視点・ポジチブシンキングがあるかということであってですね。なにも比喩しているわけではないのですよ。
なんて言いましょうか。介護の第三チャクラを開くとでも言いましょうか。第7感的なね。それはとても神秘的でスターチャイルドで。アカシックれこーどかつスピリチュアルでセレンディピティなのですよ。(よしよし、それらしい言葉のシャワーでごまかしたぞ)
でもねだけどね、介護って綺麗ごとだけではないから「火中の栗を拾う」ようなことってあるのよ。ごめんやけど。おくれやしてごめんやけど。
だって正直言えば、ご家族では対応が難しいから介護保険制度を使うってケースがほとんどだから。介護予防のために使うって人は、まぁ印象としては少ないよ。
その前提で「質のいい介護をしよう」って思うこと自体が、そうした介護職員の意識ってもっと評価されるべきだと思うのよね。これを介護職側が言ってもって、押し売りだのなんだのって。もうええやん。
そうしてチャレンジングに介護の仕事に取り組んでいる人にはね、難しい介護が集中するのね。頼られることも多くなるし、こなす数や経験も、そうでない人の何倍も動画2倍速ぐらいのスピードでさ。
介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。